世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

形態と広告のミスマッチ

あるべき思考の流れがある。本来そうあるべき思考の流れというべきだろう。1970年代は雑誌が出てきた時代だった。ポパイも最初はよくわからないサーフィン雑誌だった。

ぱふというマンガ雑誌があった。マンガの評論情報誌だ。今はぱふmobleになっている。ぱふは最初はだっくすという名前だったのだがなぜか名前を変えた。最初の頃のぱふだっくすに広告が載っていた。雑誌なのだから広告が載っているのは不思議ではないのだがその広告は東京の果物店広告だったのだ。ぱふだかだっくすはマンガオタクの雑誌だ。その雑誌に東京の果物店広告が載っているのは不思議なことだ。ミスマッチなのだ。

当時は若い人たち(当時の若い人たちで私よりもちょっと年上の世代だ)はそういうふうに右往左往しながら好きなことをやっていた。

 

ちょっとまとめて書いてみる。

やりたいことをやる。

でも仕事でビジネスである以上ただやりたいことをやっているだけでは困る。困るというのはお金が続かない。お金がないと好きなことをやってはいられない。

だからお金のことも考える必要がある。具体的には稼ぐ必要があるのだ。

雑誌でいえば当然売れなければならないし雑誌に乗せる広告で収益を出さなければならない。そして自分だけの問題ではない。チームでやっているのであればチームのメンバーの暮らしがある。そして本人が結婚していれば自分の家族の暮らしがある。

それで雑誌の売り上げや雑誌に掲載する広告のことも考える必要がある。

こういう思考の流れである形態の雑誌になっていく。

これがあるべき思考の流れだ。

 

形態というのは雑誌でいえば素敵なレイアウトとオシャレなグラビアと素敵な広告が掲載されている形態だ。余計な話だがエロスとバイオレンスをやれば売れるのは事実だ。

アウトプットとしてこういう形態になっているとしてもあるべき思考の流れではないことが多々あるのだ。

 

というよりこういうあるべき思考の流れが存在するのだということを理解する必要があるのだ。