世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

転換期の記憶:バブル時代からの変化

今時代の転換期だ。

ワタシは還暦なのでバブルとバブル崩壊のことを覚えている。とはいえバブル負け組のワタシにはバブルには仕事があった以外の良いことはなかったのだが。ただバブル期にはなんでも値上がりしていた。代表が土地だ。だからなんとかしてなにかを手に入れればよかった。理由はたいていのモノが値上がりしていたからだ。そういう何かを手に入れてしばらく経って売ると儲かったのだ。だがバブル崩壊以降はそういうそういうことは基本なくなった。

そしてバブル崩壊のときにこういうことが変わったことがわからない人たちもいた。

 

今はあのときよりももっと大きな変化がおきている。一つは気分みたいなものの変化だ。1980年以降の日本は明るい。そういうことがあってフザケたり冗談をいうこと、あるいはグロテスクなくらいに露骨な物言いをすることが流行った。だがそういおう気分が変わっている。

だけどそのことに気がついてない人たちがずいぶんいる。前にニュース番組をやっていたひとが今コメンテーターをやっている。そのひとがフザケたコメントをして司会者がゲンナリしていた。でもそのひとはなぜ自分がゲンナリされているのかわかってなかったのだ。たぶんそのひとはこれから先もなぜ自分が嫌われてゲンナリされるのかわからないと思う。

答えは無意味にフザケるからなのだが。

 

ずっと前からああいう人たちは嫌われるというよりげんなりされていた。そしてミュートされていた。

ミュートされていたということの意味は「いうだけムダなひとだと認定されていた」ということだ。その理由は事実いうだけムダなひとたちだからだ。

 

パワーバランスが変わったのだろう。向こう(無意味にフザケる人たち)のチカラがなくなって、そういう人たちにゲンナリしていた人たちミュートしていたの方にパワーがついてきたようだ。そして今逆転している。

 

 

統合失調回復の記録 56

明るい時代が終わって暗い時代になっている。だがある種の人たちはまだ明るい時代の振る舞いを続けている。彼らの言動は時代に会わなくなっている。そして彼らはそのことに気がついていない。

今日の昼に出先でテレビがついていた。その番組でコメンテーターたちが厳しいことをいっていた。番組で解説をしているテレビ局のニヤけたヤツが困っていた。その局の報道の人間かもしれない。問題は考え方ではない。コメンテーターたちは厳しく現実をみていて解説のヤツがニヤけていたということだ。

数年前から日本中のニヤけた連中が破綻している。そして厳しく現実をみている人たちが生きてきているのだ。

もう一度書くがこれは考え方が問題なわけではないのだ。

 

それはともかく最近奇跡みたいなことを信じはじめている。奇跡といっても世間のひとにとっては普通のことだと思うのだ。だが世間のひとが「普通だ」と思うようなことがワタシみたいな人たちには「奇跡」みたいなことだった。

これは繰り返し書いているように考え方の既定値(基本OS)の問題だ。ワタシの考え方の既定値(基本OS)が上書きされているようだ。

 

とはいえワタシタチには世間の普通は基本わからない。

数年前に知り合いになった男性がいろいろ大変なんだけれども実家にも問題があって実家にも帰れないんだといっていた。ワタシは彼よりもひどい状況だ。子供の頃から。彼は私立高校に行って結構楽しく暮らしてきたひとだ。それにくわしくは書かないが彼の実家の状況はウチ状況よりはましなのだ。だいたいウチは昔オヤジが借金を返すために家屋敷を売っているから実家はもうないし実家がないのだから帰ろうと思っても帰れない。

最近ネットを見ていて「やっぱりそうか」と最近思った。世間の人たちは子供の頃読み聞かせをしてもらっているらしい。

ワタシたちは生活の事細かなことが世間の一般的な人たちとは違う。だからワタシたちにはそういうことは基本わからない。

 

だがこれが「ワタシたち」であることが重要だ。わたしはそういう人たちに早い時期にあっている。経済状況もあるしそういう人たちに子供の頃にあってなければどうにもならなかったはずだ。

「匂い」でもするの?というくらいに大人になってからもそういう人たちと会っているのだ。

関西の友人と電話で話していた時期があったのだがあるときに「拾は・・・:」という話しになって「ウチも」ということになった。

マスターともそうだ。知り合ってからずいぶん経ってからそういう話しになった。

 

ああいう人たちに会ってなければワタシはおかしな方向にいっていた。

 

 

上はレス・ギブリンの本だ。こういう本はある時代状況があって生まれる本なのだろう。

この本に「誰かが面白いことを言っているときに」という例あった。Aさんが面白いことをいったとしよう。BさんはAさんと同じように面白いことをいう。Cさんはただ笑っている。人望が集まるのはCさんの方だ。

それはそういうものなのだが今の日本ではまだBさんのように振る舞うひとが多い。

Bさんみたいに振る舞うひとがたくさんいてそういうことでは人望は集まらないんだということが多くのひとになんとなくわかったような時代状況にならないとこういうことは納得できない。

そして今の日本ではまだBさんみたいに振る舞って周囲をげんなりさせている人たちが大量にいる。

やっと日本はそういう時代状況になった。というよりなっている。

 

話が最初に戻るがワタシはやっと奇跡みたいなコト(それは世間の人たちにはおそらく普通のことなのだが)が普通にあるんだと信じられるようになってきた。

そして自己像セルフイメージも上がっている。

こうおいうことがあればうまく行くはずだ。

 

知識はムダではない。昔栗本慎一郎が知識人インテリは大きなことがある時代には真っ先に狙われると書いていた。今の日本は人権状況が良いからそうそう殺されることはないのだが人権状況が悪い国や地域なら命を狙われると。それを読んだときには「知識人インテリにそんなチカラがあるのか」と思った。

だがやっぱり知識にも知識人にもチカラがあってチカラがあるからやっぱり狙われている。


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上は堤未果のショックドクトリンだ。堤未果の亭主は政治家の川田龍平だ。最近川田が変な献金を要求したことがニュースになっていた。事実は不明だが「?」とワタシは思った(勘ぐったと思ってもらってもいい)。

またアメリカの映画はたいしたものだと思うのだが。


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これはマットディモンのボーンシリーズの動画だ。この映画はもちろんフィクションだがこの映画のようなことが事実おこなわれている。具体的には書かないが。

 


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上は財務省から一度憎まれいる男数量経済学者の高橋洋一のユーチューブだ。

日本の政治家(首相も)財務省からレクチャーを受ける。それでそういう政策を実行する。でも安倍さんは財務省からレクチャーを受けたあとに高橋に「あの件どうなんですか」と聴いていた。それで高橋は財務省のレクチャー内容を上書きしていた。

そういうことがあって高橋は財務省から一度憎まれている男になったのだが高橋洋一も2009年に犯罪を犯したといわれているがこの事件も結局よくわからない。

 

既成の右左という考え方は今はもう通用しなくなっている。

 

ただ根拠はいえないが(なんとなくそう思うだけだから)日本に知識人インテリが30万人程度はいると思う。この知識人インテリがやはり重要だ。

 

そういう時代は良い時代ではないのかもしれないが。

 

 

 

 

メディアの陰謀とデモ:情報操作の実態

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この件だ。ここ何十年かの間に1万人以上が参加した(であろう)デモが何度があった。だが大手テレビも大手新聞もすべて基本無視をしている。

こういうことについてワタシがありそうだと思っているのは・・・

「ウチら結構忙しいんだよ。よそもやってないし良いんじゃない」ということなのだ。

 

テレビを見なくなってしばらく経つ。テレビを見ていた頃テレビニュースで「新型アイフォンがでます。今回はこうなっています」とやっていた。たぶん全局で(NHKも)やっていたはずだ。あんな良い告知はない。良い宣伝だ。

スマホはしょせんスマホだ。今の韓国の物価と賃金と技術力ではスマホを作るのは簡単すぎる。だからスマホはもう中国沿岸部にシフトした。それはともかくいわゆるスマートフォンにはアンドロイドとアイフォンがあるが日本では圧倒的にアイフォンが強い。アンドロイドが出たときには韓国の状況がスマートフォンにあっていた。(物価賃金技術力がだ)だからアンドロイドは韓国メーカーが強かった。日本でアイフォンが強いことにはそういう理由もあるだろう。だがそれ以上にテレビニュースの宣伝効果が大きいのではないかとワタシは考えている。テレビニュースの宣伝効果を金銭換算すれば億では効かないだろう。

ただそういうことをなんとなくやっているだろうと思うのだ。

 

この意味だ。陰謀ですらないという意味だ。陰謀以下。現実は陰謀ですらないことが多いのだ。もう一度書くが陰謀以下。陰謀ですらないという寒々しい現実なのだ。

 

だからデモをテレビ各局が取り上げないことも新聞各社が取り上げないこともやはり陰謀ですらないと思う。

統合失調回復の記録 55

ここ23日気持ちが悪い。それで「?」と思っていた。どうやら風邪っぽいのだ。

運が良いのか悪いのかはリアルタイムではわからないものだ。

ワタシもできる範囲でだが親の介護をやっている。だがその前にある店にいた。そこは正直いって早く辞めたほうがよかったところだった。でもそこの客で老建施設の理事長がいた。簡単にいうとそのひとからスカウトされた。それで資格を取って欲しいといわれたのだ。そこでは働かなかったのだが両親の介護のときにそのときの勉強やその理事長がやっている老建施設のケアマネジャーや介護師さんたちの世話になった。

そういうことがなかったら両親の介護はそうとう難しかったと思う。

人生の方向性が変わるときにたいてい①歯が悪くなるし②風邪引く(あるいはインフルエンザにかかる。怪我をして入院する)。

ワタシの場合にはだ。

 

こういうことは簡単にはいえないが周囲を見ていて介護離職したひとのなかに離職したほうがよかったひとがいる。本人にはそういうことはいえないが。

 

そして時代が変わっている。1980年以降の日本は明るい時代だった。それが暗い時代になっている。これは経済状況云々ということではない。時代の気分の問題だ。

過去明るい時代には明るい事柄が合う。そして暗い事柄は時代にあわない。

これはポジティブ/ネガティブということではない。ポジティブは積極的ネガティブは消極的という意味だから。

「この状況ヒドイ」と思っても(ポジティブシンキングのステイタスは現実の受容だから現実の状況がヒドイときにはヒドイと認識することはポジティブシンキングのステイタス1だ)そのひどい状況に積極的に考えて対応(?)するのがポジティブなことだ。

 

他にもいろんなことが変わっている。こういう時代にならないとワタシの病気や不幸が治ることはなかったと思う。

税金とパチンコ店 フェアであること

 

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上はマイノリティ優遇制度に関する議論の抜粋だ。

 

ドラッカーサッチャーさんの政策はなにもかも失敗だったと書いている。ただ一つだけうまくいったという。それは公共住宅を安い値段で住んでいるひとに払い下げたのだ。公共住宅は日本でいえば賃貸の団地。これを安い値段で住んでいるひとに売った。この政策はうまくいったという。

情から考えてもそれはそうなるはずだ。

 

日本では昔は若いひとで(昔は男が多かったが)昼間企業のアシスタントをやっていて夜学校にいっていたひとがいた。書生が存在した時期もあった。お金持ちが優秀だがカネがない学生を家を住み込ませて家のことをやってもらいながら学校に行かせていた。ある時期の日本ではこういうひとを書生といった。その頃は書生がいるのはステータスシンボルだったらしいし書生をやっていたひとが出世した場合には仕事上で恩恵が帰ってくるという計算もあったようだ。

ワタシは家が貧乏だったから戦前だったら師範学校か士官養成学校か陸軍中野学校をめざしていたはずだ。

ただモノの本によると師範学校出身の教師は荒かったらしい。乱暴なひとが置かったらしい。

それがあるから平和憲法があってよかったのかと思っている。実際進学のとき防衛大学校は考えた。スパイを本格的に日本で育成するという議論に関しては言いよどんでしまう。陸軍中野学校があれば自分が目指していたからだ。

 

フェアという。ワタシのタトエはどういうわけだが卑俗になる。ここがパチンコ店だとしよう。フェアだというのはイカサマはやらないということだ。人生はギャンブルではない。だがフェアだということはイカサマはやらないということでしかない。

 

自分は努力をしたから今のポジションを得たんだというひとがいる。そして彼らは努力をしなかったからああなんだというのだ。

そうだ。これは事実そうなのだ。

だが昔からいうように「孟母三遷」で「朱に交われば赤くなる」なのだ。

「誰に会ったか」「どういうグループにいたのか」で人生は大きく変わる。これは運でしかないと思う。あるいは偶然という要素が多い。

 

ワタシの中学の図書館の司書をやっていた方のお子さんが高校の先輩でフォークソング同好会に入っていた。フォークソング同好会という名称が牧歌的で良いのだが。それがあったからワタシはフォークソング同好会に入ったしそれがなかったらフォークソング同好会に入ることはなかった。中学のときになんとかアコースティックギターを手にいれていたかしなんとかなった。高校のときにあのグループにいなかったらその後のワタシは全然違う。

そのグループではワタシは出来ない方だった。できるグループはバンドをやっていてそのバンドには誘われてもいないのだが当時のワタシから見ても彼らは才能もあって能力も高かった。だがそういうグループにいなかった人たちよりはそういうことに関しての知識もあるし技術もあった。もう忘れたが「ういろう売り」を覚えてみたりコーリューブンゲンをやってみたりしていた。楽器店でバンド譜を買ったりピックを買ったりしていた。

ITオタクのグループにいたこともある。そのグループでは出来ない方だった。でも一般的にはできる方だった。

あるグループにいるとそのグループの普通に染まっていく。そのグループでの普通がある種の努力をするのが当然であることは多いのだ。

 

ある時期からの日本で節税という。あるいは〇〇という補助金が出るのに使わないのはもったいないともいう。

こういうことはマインドセットの上でよくない。悪いのだ。こういうマインドセットではなくて「もっとお金を稼いで楽しく暮らす。そして税金もたくさん納める」というマインドセットの方がいい。日本全体がこういうマインドセットに切り替える必要がある。一番の社会貢献は税金を納めることだ。

 

さっき書いたパチンコ店の例で考えてみよう。多くの日本人が「誰かがイカサマをやっているような気がする」と思っている。場合によっては「このパチンコ店そもそもがイカサマをやっていて自分だけには出ないようにしている」と思っている。

これはタトエだがこのパチンコ店というのは国や自治体や国際社会ことだ。

みんなそう思ってない?ワタシはそう思っているよ。陰謀論者なのかな?

 

メディアリテラシーの高さ あの放火魔たち

たぶん今テレビは大谷翔平の元通訳の話題と松本人志の話題でもちきりなのだろう。普通に考えてそういう話題ばっかりやってても視聴者は見ない。それにテレビのニュースソースだ。ネットと週刊文春。ニュースソースがネットならみんなネットをみる。ニュースソースが週刊文春ならみんな週刊文春を読む。L

 

とはいえだ。日本人のメディアリテラシーはそうとう高い。炎上という。炎上しているひとは結構良いひとだ。というより今どきなにを行っても炎上する。だからテレビで普通に発言すれば炎上する。だから炎上するのは結構良いひとだし普通のひとだ。

最近テレビをみていないがこの司会者では燃えるよなと思っていた。

東野幸治がそうだ。「〇〇さんいかがでしょう」というが。あれでは〇〇さんはたいてい燃える。別に松本人志の味方をする気はないがあの番組に関しては東野幸治が悪い。というよりアクドイ。

羽鳥慎一もそうだ。あの番組でしょっちゅう燃えているのは玉川徹だが燃やしているのは羽鳥真一だ。あのフリでは玉川徹は燃えるしかない。

以前サンデーモーニングで張本さんが余計なことを言って問題になった。あの番組に関しては昔から「関口宏が悪いんじゃないの」という話になっていた。一般視聴者の間ではだ。

それだけじゃなくボヤ軽度で済んでいてずっとコメンテーターをやっている連中はなんだ。ヤツ等はどれだけうまいんだ。

 

当然番組スタッフもいるわけで。そういう連中よっぽど口がうまいんだろうなとも思う。プロデューサーやディレクターだ。事実は知らないがヤツ等は番組で誰かが燃えてもしょせん他人事なんだと思うのだ。「炎上くらいした方が良いんですよ」といって良いようにコメンテーターを使っているような気がする。

 

今の日本人のメディアリテラシーはそうとう高いのだ。

 

多くのひとがテレビを見ないのはそいうこともあるんだと思うよ。

 

東野幸治には個人的に共感するところもあるのだ。あの人も結構ヒドイ育ち方でワタシも結構ひどい育ち方なのだ。確か東野幸治には兄貴と妹がいる。ワタシの家の事情を知っている友達が「妹がいたら良かったのに」といっていた。弟ではダメらしい。その友達の考えでは妹は戦力になるが弟は戦力外らしいのだ。ワタシも弟か妹が欲しかった。ただもしワタシに妹がいたらしっかり者になっていてワタシはだめなヤツになっていたような気がする。

有名人で自分のファンと結婚したのは東野幸治のほかには蛭子さんがいるだけだ。

東野幸治は大丈夫なのか。赤の他人だがワタシはちょっと心配だ。

羽鳥慎一もストレス溜まりすぎだ。あんまりストレスがためすぎて性犯罪に走らないように。赤の他人なのではあるが。

血液と経済循環

ワタシみたいな門外漢が経済話をしたってとも思うのだが。

日本は内需が大事な国だ。内需には投資と消費がある。ただそれが投資か消費か以前にお金を血液に例えることが多い。

アベノミクスでお金の量を増やした。これを血液で考えみると身体の血液の絶対量を蓋したようなものだ。

でも日本全体がお金が流れていない。これを血液で考えをみると身体い血液はあるのだがうまく流れていないようなものだ。

血液がドロドロになっているのかもしれない。そういう風に考えてみるとわかりやすいはずだ。

 

古典落語に(あいまいな記憶だが)「ここに一両ある」というエピソードがある。「この一両をただ持っているとただの一両。でも今この一両を使うだろっ。そうするとこの一両が一年後に戻ってくる。そうすると一年後にまた一両使えるんだよ。半年後に戻ってきたら半年後にまた一両使えるんだよ」というエピソードだ。

このエピソードは当たっているといえば当たっている。

 

景気は気のものという面がある。

ワタシは長年不幸で下げ止まっているから「景気は気のものといわれたってそんな余裕はないんです」と思っていたが。

ワタシみたいにお金がないひとばかりじゃないのに日本全体お金が回っていない。

 

お金を使うというより日本中でお金を回したいのだ。

血液のタトエでいうと身体の血液の流れををよくしたい。

 

一つの方法は国民が安心できる政策を実施するだ。

たとえば教育や医療や子育て関連の予算を膨大につける。そうすると国民は安心できる。そういうことで日本のお金が回り始めるということはありうるはずだし、そういうことが将来税収として国や自治体に帰ってくる可能性も高い。そうなったときにたとえば日本が今後数十年に渡って年間一兆円お金を使った場合に税金のカタチでどれくらいのお金が国や自治体にかえってくるのかという計算はできるはずだ。

もちろん地震で大変な思いをされている方々もいらっしゃるわけだからそういう方々の生活支援生活再建のためにお金を使った場合にそういう方々が先々働いて税金をおさめてくれるはずだからそういう額の算出だってできるはずだ。

また予防医学のようなことだが典型だが膨大なお金を使っても先々医療費が削減できることもある。耐震関連にお金を使ってもそれが先々いろいろ会ったときに被害が少なくなるのならそれはマイナスが減らすという意味でプラスだ。