世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

ファンとコンテンツの新たな結びつき

テレビがどうなるのか不明だ。一つの考えとしてテレビが今のラジオみたいな存在になるということは考えられる。あるいは映画のような。

映画が娯楽の王様だった時代もあったしその頃はラジオもすごいものだった。そういう時代の後にテレビが娯楽の王様になった。そして今テレビが娯楽の王様ではなくなっている。これは事実そうなのだろう。

今の日本で年間何十本も映画館で映画を見るひとはあまりいない。またラジオを持っていないひともそうとういる。だからと言って映画がなくなっているかというとそうではないしラジオがなくなっているのかというともちろんそうではないのだ。

 

出版や放送とインターネットを中心としたメディアでは情報の流れ方が違う。

出版でいうと本社編集部にいったんすべての情報を集める。その情報を取捨選択して編集して全国なり全世界に発信するカタチで流れる。

放送でいえばキーステーションのある部署にすべての情報をいったん集める。その情報をやはり取捨選択して編集して全国なり全世界に発信するカタチで流れる。

このカタチであれば問題がある(であろう)情報は伝えないということも可能になる。だからこういう情報の流れ方が悪いとはいえない。

 

いっぽうインターネットを中心としたメディアではこういうふうに情報が流れない。バズるという現象が起きるのも情報の流れ方が違うからだ。また炎上なるものがしょっちゅう起きるのもやはり情報の流れ方が違うからだ。

 

そういうこと(情報の流れ方の違い)があるから今の大きなトレンドは「権利を部分的に放棄する」ということになっている。ツマミ問題もここに含まれる。

ひとの発言の一部を勝手に引用することがツマムということだ。そしてその発言のニュアンスが違って伝わってしまうことも多々あるから。ツマミ問題なるものが存在している。

そうやって引用(場合によっては大きく意味やニュアンスを変えて)さえた記事なり発言は勝手に拡散されていく。

だが一般の多くのひとが行う拡散ぬきには今の情報の流れ方は考えられなくなっている。

そういうことがあって今の大きなトレンドが「権利を部分的に放棄する」ということになっている。

わかりやすいのがミュージシャンだ。コンサートのある部分(場合によってはすべて)の録音録画を認めているミュージシャンが多くいる。そういうふうに録音録画されたコンテンツはそれぞれのファンが自分のSNSで発表することもあるしユーチューブのようなところに投稿(?)することもある。

これは拡散でもあるし宣伝でもある。

こういうことが良いとか悪いということではなくこういうことを認めるしかないのが現実なのだ。

そしてこういう現状ではあるのだが(こういう現状だから)クリエイターやパフォーマーたちは食べていく必要がある

これをどうえるのかと考えるのが筋だ。