世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 14

私は本格的に神秘的な思想になる。いままでも神秘的な思想だったのだが神秘をもてあそんでしまいそうだった。だから神秘的な思想にはなれなかった。でももう神秘をもてあそぶことがなくなった。だから神秘的な思想になるのだ。

この説明は自分にはできないが。

今腹に力が入ってきている。若い頃から姿勢が良いと言われていた。でも姿勢が良いわけでもなかった。単に緊張が取れなかっただけだ。自覚はなかったのだがいつもどこか緊張していた。腹もずっとくだしていた。30年くらいうこが固まることはなかった。でもでていたからたいして気にしてなかった。緊張状態が続いていたのなら身体が強張って結果姿勢が良い風になるのは当然だ。また緊張状態が続いていれば腹を下すこともあるだろう。

そして今感覚としては腹に力が入る感覚だが恐怖や恥ずかしさ(こういうものを私はいつも感じていたのだ)が取れてきている。そうすると緊張状態ではなくなる。今起きているのはそういうことなのかなと思う。

 

神秘的な思想というのは過去のいろんなことや今の自分や自分のまつわることを一貫した物語として考えて感じるということだ。今こうやって回復している時から過去を振る変えっているわけだから実は因果関係はよくわからない。でもそういう風にはもう考えない。

それは功利主義なのかもしれない。そうしたほうがより自分にとって利益があるからそうする(そう考える)のは利益を重視した思想だから功利主義といえるだろう。私は商売人だからだということがあるのだろう。アドラーのように「良い未来のための選択」をするよりも「自分に(自分の周囲にも)得になるような選択」の方がピンとくるのだ。

そしてこういう私の商売人ぶりには浄土真宗の信徒であることが深く影響している。そして生長の家の師友であることもそうだ。高度経済成長期には地方から都会へ大量のひとが移動した。そういう人たちの都会でのコミュニティとしての機能を創価学会の世代の宗教は明らかにもっていた。人間は集団で生きる存在だ。だからそれがあまりに悪辣であればもちろん問題だが集団に所属していると人間は安定する。もちろんそういうことを宗教が利用していることもあるのだが。

前に書いたかどうか忘れたが山上容疑者とジョンFケエディ大統領を射殺した犯人の履歴が似ている。山上容疑者は自衛隊にいたしあの犯人は海兵隊にいた。だがあの犯人は海兵隊で浮いていたようだ。たぶん山上容疑者も自衛隊にはなじまなかっただろう。なんらかのコミュニティに所属していればたいていのひとは本人も周囲も安全なものだ。得に山上容疑者は母親の件があったから旧統一教会にはいけなかったのだろう。だが私も宗教二世なのだ。父親は大本だった。私が生長の家の師友になったことにはそういうことも影響している。山上容疑者にはそういう道もなかったのではあろうが。

そして浄土真宗もあれば生長の家もあるのでたとえば海外に行ったときの安心感があるのだ。こういう「安心感」というものはとても重要なものだ。