世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

上がってくるときが危ない

すべて敬称略です。

 

運がいいのか悪いのかはその時にはわからない。それが良いことか悪いことかもその時にはわからないものだ。

今から思うと50代はずっと更年期だった。怒りの抑制が効かなくなって苦しかった。もう怒り死にしようなくらいに腹が立って腹が立ってしょうがなかった。ホルモンバランスも変わっていたのだろう。でもそれだけではなくて自己像セルフイメージが上がっていた。理由はともかく私は子供のころからずっと「自分はダメ人間」だと思っていた。それはイメージだし認識の話だ。だから事実どうかということとはまったく違う話だ。

たとえばお金を持っていることや社会的なステータスが高いことやあることに関する能力が高いことは事実の話だ。自己像セルフイメージはそういうことではない。イメージだし認識の問題だからだ。

自分はダメ人間だと思っていると普通にそういう振る舞いをしてしまって悪い結果になるということは事実そうだ。そして物理的具体的客観的に本人がに優秀だったとしてもそして認識は「自分はダメ人間だ」ということも当然ありうる。自分でいうのはヒドい自慢話だが私は客観的には子供のころから悪くないのだ。むしろ優秀なほうだ。

ただ私は子供のころから一貫して「自分はダメ人間だ」と思ってきた。自己像セルフイメージが上がってきて「自分はダメ人間じゃない」と認識が変わると過去と今のすべてのつじつまが合わなくなってしまう。

「自分はダメ人間」だと思っていれば屈辱的な目にあってもおかしくない。それは当然のことだ。人間は合理的な存在だ。つじつまがあっていることがとても大事なのだ。

「自分はダメ人間じゃない」という風に自己像セルフイメージが変わると全部つじつまがあわなくなる。そして腹がたつ。自分がダメ人間だと思っていたから屈辱的なことも当たり前だと思っていたのだが自分がダメ人間ではないという風に自己像セルフイメージが変わると屈辱的なことは当然当たり前のことではなくなるからだ。

 

そしてやっとそういう時期が終わったが「自分は危機的な状況で助かるためのチョイスがない」と思っていた。危機的な状況だったのは事実だ。それは精神的に危機的な状況だったという意味で事実なのだ。でも物理的具体的にはぜんぜん危機的状況ではなかった。現に今もこうやってブログを書いているし安全な状況なのだ。でも精神的には「どうにもならない状況なんだ」と思っていたのだ。

 

加藤秀視が「自分を愛するための技術」であるところにスポっと入ると認識上「永遠の過去からこの苦しみが続いていて今も苦しくて永遠の未来の先までこの苦しみが続く」と思うものだと書いていた。事実はそうではない。でも認識上はそういう風にしか思えないものだ。

自分を愛する技術


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カーペンターズに雨の日と月曜日はという歌がある。

歌詞の意味はよくわからないのだがつらい状況のひとに「雨の日ばかりじゃなくて晴れる日もあるから。日曜日だってあるよ」というアドバイスをすることがある。私もそういうアドバイスをすることもある。事実はそうだ。事実はそうだが大人でもあるところにスポっと入ると「永遠に雨が降っていて永遠に月曜日(の朝)だ」と認識するものなのだ。事実は「晴れる日もあるし日曜日もある」のだが認識上は「永遠に雨の月曜(の朝)」なのだ。

ウツになるとそういう認識に陥る。ウツではなくてもある状況ではそういう認識を持つものだ。だからそういう認識をもっているひとに「晴れる日もあるし日曜日もある」というのは間違いだ。それはそういうアドバイスはよくないという意味ではない。そのひとは「永遠に雨の月曜日(の朝)だ」と認識しているのだ。そのひとの認識がそうであるからそういう状況に陥っているひとの認識とずれているという意味で間違いなのだ。

私も案の定そうなっていた。そしてなんとかそういう状況が終わった。本当に助かった。