世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

ポジティブシンキングは誤解されているようだ 今の現実の意味や価値を小さくする

ポジティブシンキングでも当然現実は受け入れる(あるいは認める)。ただ「これ地獄だ」という現実であってもその地獄でしかない現実を受け入れやすいような世界観(?)は用意してある。

ポジティブシンキングであろうとなかろうと今の現実を受け入れる(あるいは認める)ことを飛ばすのは間違いだ。何故ならそれはただの現実だからだ。

だけどこの今の現実が事実地獄だとしても大金持ちであろうとも、その現実が大きいと思うのなら、今の現実の意味はとても重たい。そうなるのは当然だ。

だからポジティブシンキングには今の現実の価値や意味を小さくなる思うような世界観が存在する。

そうすると今の現実が地獄だとしても大金持ちであろうともそのいまの現実の価値や意味が大きくなるのは当然だ。

だからポジティブシンキングでは今の現実の意味や価値を小さいと思う(考える感じる)ような世界観(?)が存在する。

論理的にそうしかなりえないはずだ。

 

「好きなことをやりなさい」という場合も同じ意味だ。多くのひとに好きなことはないのだが。好きなことの意味や価値が大きくなると今の現実の意味や価値が相対的に小さくなるからだ。

私は生長の家をやっていてそこの友人から先祖供養を勧められた。その時の私はそれどころではなかった。親の問題もあるしお金も問題もあるし私の病気の問題もあったし他にも問題があった。だから先祖供養どころではなかったのだ。でもやってみてよかった。当時の現実があまりにひどかった。あんな現実を普通に見て認めて受け入れていたら自分が持たなかった。

私が固執していたそして執着していたことから目を逸らすという意味でもよかった。事実その頃の私の現実はひどかったのだ。そういう経験もあるから「困った時の神頼み」というのは当然だと思う。そしてカルトかどうかよりもそういうことをカネもうけのために利用するのは違うだろうという話になるはずだ。あるいは安い労働力として利用するのも違うだろうということも当然のことだ。

ある時期は極右だった生長の家だが。

生長の家の重要な本がある。生命の実相という今は全40巻の本だ。さっきひろゆきさんのユーチューブを観ていた。そうしたらひろゆきさんが象の話をしていた。子供のころに象をいわば洗脳する。そうすると象は自分よりも弱い象つかいに逆らわなくなるという話だった。

こういう話を昔生命の実相でも読んだことを思い出した。具体的には忘れてしまったが似たような話だった。生命の実相では鳩の話だった。

他にもサルを捕まえるワナの話もあった。木の幹に穴を開けて、その穴に食べ物を置いておく。おサルさんがその食べ物を取ろうと思って穴の中で手を握るとグーのカタチが大きいので木の幹にあけた穴から手が抜けなくなるのだ。それでおサルさんはパニックを起こす。そのエサをはなしてしまえば普通に手は抜けるのだがパニック状態だし手をグーにしたままなので手が抜けない。それでおサルさんが捕まるという話だった。そしてそういうワナがどうやら実際あるらしいのだ。

今書いて思ったのだがこのワナにひっかかっている人たちは実際にいるよね。今時宗教は危ないところも多い。生長の家だってやはりいろんなひとがいる。だから正直お勧めできない。実際入れ込んでいしまうひともいるし政治とのかかわりも難しいものだ。私みたいにみんなが不真面目な態度ではいられないのだ。

それはともかくある時期にはいわゆる明るいことをするような説得が日本でもアメリカでもイギリスでも劇的な効果を表していた。

キャリーやキャリーのお母さんみたいな人たちが当時そうとういたらしい。世界中にだ。

キャリー(1976)(字幕版)

キャリー (新潮文庫)

そしていわゆる成功哲学で一気に変わったという人たちがいつからかいるのだ。そういう人たちはそもそもある種の抑圧(あるいは洗脳?)を受けていたはずだ。そういう抑圧(あるいは洗脳?)がなかったらそんなに一気に変わるはずがないではないか。

でも実際そういうひとにある時から実際会っている。それは生長の家かどうかは問わずだ。ということはまた世界中のひとに抑圧(あるいは洗脳?)が普通になされているということになるのだが。