世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

タバコを麻酔に使っていた 回復とジストニア

いつものように敬称略です。

酒やタバコは本来嗜好品だ。漢字では呑むという字を当てるはずだ。でも私は長年痛み(精神的な)を紛らせるために長年タバコを吸っていた。もし私が酒で精神的な痛みを紛らせていたら死んでいた。飲み方が異常だったのだ。

私は若い頃から精神科にかかって薬物療法を受けている。主治医から「酒の席もあるだるろうし飲んでも良いけど酒と薬は3時間は時間をあけて」と言われたので酒は若い頃にやめた。だが自分がそういうことで酒をやめられたのは酒好きだったからだ。若い頃酒がまずかったのだ。楽しい気分にもならないことが多かった。私は酒好きだからそういう風には酒を飲みたくなかった。せっかくのお酒だからおいしく楽しく飲みたかった。だから辞めてしまった。

そして回復期のタバコの吸い方は異常だった。ちょっとヒマがあるとタバコを吸っていた。精神的な痛みを受け入れていたのだろう。そういうことは基本過去のことだ。なネ年流していたのだ。基本過去のことだから受けいれてしまえば過去になる。でも我ながらよくそういおうことができたものだと思う。こういうワークをやった人たちは結構いる。そういうひとは「昔の自分の話を聞いた」というひともいるし「ホラーだった」というひともいる。

そういうことについては部分的に書くと誤解されるので書かない。ただある時にはどうしようもないこともある。たとえばいじめられていてその時にはどうしても勝てないということも事実ある。学校に行っている時は学校という世界がすべてだと思うものだ。だけどもちろん学校が世界のすべてだというわけではない。そして学校ではどうしても勝てないということも事実ある。そういう時に自分の本来の気持ちに向き合って戦ってしまうと負けるしかない。学校で負けてしまうと今の日本ではそうとう厳しいはずだ。だからそういう時は自分に嘘をついてなんとか胡麻化して学生生活を送ることも場合によっては必要なことだ。すべての学校がそうではないのないが今は本当に危ないこともあるのだ。

ちょっと話が逸れるがイジメについて話をする。島田紳助は私が一番好きな芸人だった。紳助さんが週刊誌に連載をもっていた時にイジメのレベルがあるポイントを越えたと書いていた。

いつも心に紳助を

この連載は本になっている。シンスケさんは具体的に書いていた。たとえばお年玉を必死にためている子がいる。そういう子のお年玉をみんなで使ってしまう。そういうことはあったのだそうだ。それももちろんヒドイ。でもそれはイジメられている子に犯罪を強いるようなことではない。「10万もってこい」というようなことをいわれると中学生くらいだとどうしていいのかわからなくて犯罪に手を染めてしまう。怖いからだ。

また若い知人は中学の時にイジメられていてイジメていたヤツが家に来ていたのだそうだ。中学生くらいだと親の前では友達みたいにしていれば両親からみれば仲がよくてさじゃれているように見えることはわかる。でもそういうことを実際にやるのはいくらイライラする相手だからと言っても一線を越えてしまっている。

私自身本当にイライラするひとはいるしイヤなことをいったこともある。でも一線を越えることはなかった。逆にイジメられていたこともあるし今思い出しても腹が立つ相手もいる。そういう連中もやはり一線を越えることはなかった。

ある時から日本では明らかに一線を越えている。これはたぶんイジメだけのことではない。

 

ジストニアもちょっとずつ治っている。最近「自分の身体は長年どうなっていたんだろう」と思っている。引きつりや強張りが本当にひどかった。でもジストニアは回復期に特にひどくなった。緊張すると身体や筋肉は強張って硬直する。恐怖や怒りを感じている時にも身体は硬直する。リラックスしてるときは身体は弛緩している。回復期にジストニアがあんなにひどくなったのは今から思うと怒りや恐れ、寂しさ(それは基本全部過去のことだが)を感じていたのだろう。そうすると身体は強張る。緊張すればそうなるはずだ。

 

ただこうやって回復しているから今は本当にうれしい。そしていままであったことも意味があったと普通に思えている。本当によかった。こんな風に本当になって欲しかったのだ。ホントによかった。