世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

笠井潔の指摘 右翼も左翼もねじれている

 

 

すべて敬称略だ。

 

上にあげた本に笠井潔の指摘があった。この本はとても読みやすい本なので多くのひとにお勧めする。

 

笠井は右翼も左翼も(保守もリベラル)も思想にねじれがあると指摘してる。

日本はちょっと違うのだが保守の政策は小さな政府でリベラルの政策は大きな政府だ。これは保守は「国や政府や余計なことはしなくていい」という思想だからだ。そしてリベラルは「国や政府はいろいろやったほうがいい」という思想だ。これは一長一短でどちらがいいということはない。

 

国や政府は余計なことはしないようになると(これは保守の政策だ)一面活気が出るが一面残酷だ。

国や政府はいろいろやったほうがいいという風になると(これはリベラルの政策だ)一面平和で穏やかだが一面活気や元気に欠けてしまう。

 

だから大きな政府と小さな政府は一長一短でどっちがいいとは言えない。そして現実的には保守に行き過ぎると(社会に活気はあるが残酷さが目だつようになると)リベラルに触れて、リベラルに行き過ぎると(社会が平和で安定しているが活気や元気さに欠けるようになると)保守に振れることを繰り返すことになる。

 

日本はずっと自民党政権政党だったらこういう風に動いてこなかったはずだ。

 

笠井が保守もリベラルもねじれていると指摘してる。

 

保守は「国や政府は余計なことはしなくていい」と政策でリベラルは「国や政府やいろいろやったほうがいい」という政策だ。

 

これは基本経済政策についてだが社会規範や道徳や社会の在り方にも同じことがありうると考えてみる。

 

そうすると保守は妊娠中絶の問題やLGBTの問題にとやかく言わないという立場になりリベラルはそういうことにも国や政府は大きくかかわるべきだという立場になる。

 

私が言っているのはそういうことに賛成なのか反対なのかということでない。保守が「国や政府は余計なことはしなくていい」という政策なのであれば妊娠中絶の問題やLGBTの問題に国や政府はあまり関わらないという政策になりリベラルはそういうことに深くかかわるということになるはずだという話なのだ。

 

リベラルは自由で自由主義的だ。一人ひとりが自由になると一人ひとりが背負うものが大きくなる。

 

保守は基本理性や合理性を信じない立場だ。保守を説明するのに日本でいうと年賀状がわかりやすい。私は今年賀状は書いていない。それはともかくだ。年賀状の意味は私にはわからない。でも一応やってきたことなのだからそういうことを(たとえば)無意味だといって否定するのはおかしいのではないか。こういう不明確な態度が保守の態度なのだ。

 

だから日本でいうと「同性婚を認めるのはどうかな・・・」というのは保守的な立場だ。「いやそういうことはあったのだろうけど結婚というカタチではなかったはずだし・・・」というような立場だ。

 

こういう風に保守はいつでも歯切れが悪いものなのだ。妊娠中絶の問題やLGBTの問題にとやかく言わない(積極的に関わらない)というとおかしいようだが保守が今書いたような態度であり立場なのだとすれば賛成反対ということではなく「イヤどうかな」という立場態度を取ることはおかしな話ではないのだ。

 

リベラルは自由主義的だ。自由であることは一面過酷なことだ。だから過酷であることに対する担保を保証するのはリベラルであれば当然のことだ。するとこういう問題に積極的にかかわる必要がでてくるのだ。

 

私が書いていることは屁理屈ではないと思う。