上は読売オンラインの記事だ。
NHKは公共放送だ。ここなのだ。だから「公共放送とは何か」を考える時だ。それは「公共とは何か」を考えるということでもある。
私は「サブスク漁協説」を唱えている。漁協に入ると誰でも魚を取っても良い。漁協に入ると魚を取る資格を得られる。私が思う公共の意味の一つはこういうモノだ。
そして私は田舎のひとだ。両親がある年齢を越えてからは生協のお世話になっていた。両親は車にも乗らなかったし田舎住まいだと生協のお世話になる必要がある。これもまた公共だ。
そしてもう一つは自分たちでいろいろやるのが面倒だから自分(たち)の権利を手放した場合に手放したなにがしかも公共だ。これが私が思う公共のもう一つの在り方。
この三つをどういう風に具体的なカタチに落とし込むのかは不明だがNHKは公共放送(おそらくこれから通信にも取り組むだろう)だからこの三つあり方を参考にしてこれからの公共放送の在り方を考えるべきだろう。
しつこいがNHKは公共放送だ。私が山間に住んでいた頃にNHKは受信できた。NHKはそういうことに対応してくれる。だが民放は対応してくれない。そこでもし民放を受信したかったら地域で話し合ってその地域でアンテナを建てる必要がある。NHKはこういうことをしなくても「すいません。ウチのあたり電波に入りが悪いんですけど」と電話をかけると対応してくれるのだ。
こういう在り方もNHKの今度を考えるうえでヒントになるはずだ。