今の日本では対立軸がわからない。ちょっと対立軸をまとめてみた。すべて敬称略です。
1
フランス革命のときに国会が召集された。議会だ。その時なんとなく議会の左側に急進改革派と集まった。そして議会の右側には穏健改革派が集まった。これが左翼と右翼の語源らしい。
アメリカがわかりやすいがサンダースさんとトランプさんはともに極左だ。今書いた意味でいえばだ。改革のビジョンはまったく違うがサンダースさんとトランプさんはともに急進改革派だ。だから二人はともに極左なのだ。
これは改革に対する態度での話だ。
2
他には理性がある。理性を信じるのがリベラルだ。そして理性を信じないのが保守。前にも書いたが年賀状についての考えでこの保守とリベラルについて説明する。リベラルは理性を信じるから「年賀状には意味がないからやめるべきだ」と考える。一方保守は「年賀状にどういう意味があるのか知らないし事実年賀状を書くのはツライのだがずっとやってきたことを辞めるのはどうかと思うので年賀状は(いちおう)続けたほうがいいい」となる。
リベラルはある種突っ走る。そういう意味だし立場だ。そしてそういう役目をもっている。保守はリベラルが突っ走ることのブレーキになる。そういう役目なのだ。
これは理性についての態度での話だ。
3
今話題のひとにエマニュエルトッドがいる。
エマニュエルトッドは日本は核武装をするべきだという考えだ。これはタカ派だからではない。日本が国外と積極的にかかわるのかあまり積極的にかかわらないのかという論点がある。
これはどっちがいいという話ではない。ともに一長一短なのだ。
日本が国外と積極的に関われば感謝をされることもあるだろうが恨まれたり憎まれたりすることもあるだろう。
日本が国外と積極的に関わらないのはエゴイズムだともいえる。また孤立主義だともいえる。
どっちがいいという話を私はしていない。こういう論点、対立軸があるといっている。エマニュエルトッドが日本は核武装をしたほうがいいというのは日本は国外と積極的に関わらないための方策だ。
4
国が一般市民の暮らしに多く関わるかあまり関わらないかだ。日本は55年体制でやってきたから違うがいわゆる先進国では国が一般市民の暮らしに多く関わるのがリベラルであまり関わらないのが保守だ。国がかかわると社会保障を充実される政策になる。保守は自由にやらせることになる。
国が一般市民の暮らしに多く関わると安心で平和な社会になる。でもこういう社会は一面活気に欠ける。リベラルな政策だとこうなる。いっぽう国が一般市民の暮らしにあまり関わらないと世間に活気が出る。だがこういう社会は一面残酷な社会なのだ。
だからこれは一長一短なのだ。保守にあまりにいったらリベラルに戻って、リベラルに行き過ぎたら保守に戻る。こうなるはずだ。
話がそれるが旧民主党が社会党と旧田中派の流れの政治家で結成された。不思議な政党だったというひともいたが私は不思議だとは思わなかった。旧田中派は伝統的に福祉や教育や公共事業に熱心な政策なのだ。もちろんいろんな利権も存在していたのだろうが。福祉や教育や公共事業に熱心だということはリベラルだ。
国が一般市民の暮らしに大きく関わるかどうかで考えればと話だ。国が一般市民の生活に大きく関わると大きな政府になるしあまり関わらないと小さな政府になる。
まとめる。
1、改革に対する態度が穏健かラディカルか。
2、理性を信じるか信じないか(あるいは理性を重視するか重視しないか)
3、国外と積極的に関わるか関わらないか
4、国が一般市民の生活に大きく関わるか関わらないか(大きな政府か小さな政府か)
ざっとこれくらいはあるか。