世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

ADO「うっせえわ」ここまで憎まれれる歌は久しぶり

すべて敬称略です。

 

 ADOのうっせいわがヒットした。あの歌が嫌いなひとが実に多い。本当に憎まれている歌だと思う。ここまで憎まれる歌は久しぶりだ。

そして「うっせえわ」でうっせえわと打倒されての何か誰かを考えてみると時代はこういう風に変わっていくものだと思える。

 

杉浦日向子は漫画家で江戸史研究家だった。私は昔彼女のFMホットラインでのインタビューを聞いている。江戸史研究家は江戸時代の江戸お町の3年程度を一生かけて研究するものだ。というより一生かけても江戸の町の3年程度のことしかわからないものなのだ。

私は一面コラムニストだ。コラムは時代の正史ではない。時代の気分みたいなものを映すものだ。昔中野翠立花隆田中角栄金脈の研究文芸春秋に掲載された当たりから田中角栄の悪口がでてきたと書いていた。あの記事が出る前にそうとう田中角栄の悪口がたまっていたのだ。そしてあのあたりからたまっていた悪口が出てきた。そしてちょっとありえないくらいに田中角栄が日本中からたたかれることになった。


ADOのうっせえわで悪口を言われている人たちはあいかわず前のままだ。私ももうそういう人たちにはうんざりしている。「もうそういうのはいいから」とずいぶん前から思っている。それは多くの日本人もそうだ。

なのにご本人たちはまったく気がついてないようだ。こういうことを経験して時代というのはこういう風に変わるもおだと思っているのだ。

 

買われてない人たちのことはもうかわいそうだから書かない。