世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

こっちはバカだから感謝してもらえればそれでいい

感謝というとアレだがいろんなことをやっていて感謝されていると感じていれば満足してやる。だが「当たり前だと思われてるよね」と思うと本当にハワタタ煮えくり返る。

それは「友達だからいいよね」とか「わかるだろ。カネないんだよ」とかいうことだ。同じことでも、そういうことが言葉になってないとしても「本当に助かる(助かった)」ということがあればコッチはいくらでもやるものなのだ。

ちょっと違うが「ごちそうさま」「ありがとう」といえばいいところで変な冗談をいわれてもやっぱりハラワタ煮えくり返る。

「ありがとう」「すいません」のような言葉をいうことには習慣が必要だ。そういうことなしにいい年になってしまった人たちがそうとういる。ああいう人たちがどうするのか知らないが・

思えば私がサービス業をずっとやってきたことはすごくよかった。ある店では店に挨拶の言葉がハッテあって店に来たらその言葉を読むことになっていた。「ありがとうございます」「少々お待ちください」のような言葉だ。こういう言葉を毎日なんとなく読んでいた。当然気持ちも入れてない。だがこういう言葉を毎日読んでいるとすっとこういう言葉がでる。

たとえば「ありがとうございます」という言葉も以外と出ない。よくあるのが「どうもありがとうございます」と言ってしまう。「どうも」がついてしまうのだ。そして「どうもはいらないからつけないでください」と言っても取れないのだ。

長年私はサービス業蔑視に怒っていた。これは日本だけの話ではない。アメリカでもだ。アメリカでマックジョブという。誰にでもできる仕事という意味だろう。だがひと様の仕事をマックジョブといっていること自体ひと様の仕事をバカにしている。そしてマックジョブと言っている人たちの中に「マックジョブしかやれないようなひとをどうしたらいいのだろう」と好意で考えていることもあるのだ。

ネットでミスタードーナツでテイクアウトのドーナツは客が自分で箱詰めすることに変わったという記事を見た。スタッフが来ないのだろう。昨日夕方の6時くらいにはなまるうどんにいったら店長らしきひとが一人で店をやっていた。やっぱりひとが来ないのだろう。

ドラックドライバーも足りていない。

あのさひとが忙しいんだから手伝えよ。結構ヒマな連中いるだろう。退職したひともそういう仕事をやればいい。でもわかってる。そういう連中はそういう仕事はしない。長年そういう連中自身がそういう仕事をバカにしてきたからだ。

店舗商売を流通業という。流通業は全体像だ。だからこの全体像が破綻するとモノ(たとえば食料)があっても店まで届けることができなくなる。店まで届いてもスタッフがいなければ店は開けられない。

もちろんロボットを使う、無人レジにするという方法はある。だけどこの問題は日本社会がずっとやってきたサービス業蔑視のあらわれだ。

これと似ているのは主婦の問題だ。昔の議論で主婦の仕事を金銭換算すればという議論があった。サービス業の問題は「主婦の仕事を金銭換算すれば」という話に近い。今時共稼ぎともいわないだろうが夫婦とももフルタイムで働いて子育てもしてなどということができるはずがない。私は子供がいないが甥や姪が子供の時にちょっとみたが発狂しそうになった。できないものはどう努力してもできない。それをやれというのは論理的に破綻している。

話を戻す。結構ヒマな連中がいるのだ。だからそういう連中がサービス業をやればいい。でもある年齢以上のある種の連中は絶対しないよ。そういう連中はサービス業や運輸業を長年心底バカにしてきたから。

でもそういうことをやっていると大げさではなくそういう連中たち本人が餓死する。脅しているわけではなく事実がそうしかならない。

ウチはずっと貧乏だったら母親が料理がうまかった。母親は基本和食だったが。そして私も子供のころから料理はやっているし店にもいたから簡単なものならできる。だからマズいものなんか食べたことはない。カネは本当にずっとなかったが。

でも今の日本の多くの人たちはどうやら日常的にマズイものを食べているらしい。おそらくだ。

そういうことは悪いがバチが当たったんだよ。ひと様のことひと様の仕事をさんざんバカにした結果だ。