世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

保守と原発の汚染水と理性

月刊Hanada2023年7月号 [雑誌]

NHK 100分 de 名著 ヘーゲル『精神現象学』 2023年 5月 [雑誌] (NHKテキスト)

ヘーゲル“精神現象学” (4)それでも共に生きていく(最終回)


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月刊Hanadaには一貫してイライラがある。「確かにそれはそうかもしれないが・・・」というイライラだ。

保守は理性を信じない立場だ。これを年賀状で考えてみよう。リベラルな立場なら「年賀状には意味がないから年賀状は廃止だ」となる。これはわかりやすく書いている。保守は「年賀状の意味は正直私は知らないし年賀状が事実ツラクもある。だけど一応やってきたことなわけだからそういうものを無暗に否定するのはどうだろう」という立場になる。

だから保守は「確かにそれはそうかもしれないが・・・」という立場になる。すると月刊Hanadaのようにイライラすることになる。

 

ざっくり斎藤幸平の100分で名著のテキストを読んだ。

ヘーゲルの歴史的弁証法を普通は「正反合」という。歴史的弁証法マルクスかもしれない。

原発の汚染水の話だ。あれを「科学的に安全なんです。だから大丈夫なんです」と言われても「いや正直納得できないんだけど」と思うのは当然だ。そういう「いや正直納得できないんだけど」と思っているひとにひたすら科学的根拠を提示しても話がかみ合わない。騙されているような気分になって余計に納得できなくなる可能性もある。そしてそういう態度を合理的ではないというのは間違っている。人間はそもそも合理的な存在だからだ。実際私も当事者だったら納得できないと思う。

 

A「科学的根拠があるから大丈夫です」という立場とB「いや正直納得できないんだけど」という立場が正と反だ。どっちが正でどっちが反かはよくわからないが。

Aの立場とBの立場で考えてみると月刊HanadaはBの立場だ。だから原発の汚染水を希釈して海に放出することには反対する必要がある。

 

「正反合」だから合を目指す。あるいは合があるはずだと考えるのが弁証法だ。

今自分で書いて「ああそうか」と思ったが月刊Hanadaが「原発の汚染水を海に放出することには反対だ」という立場を取ることそのものに意味がある。

 

まずここからやろう。AとBとの仕分けだ。