世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

問題はインタネットではない 情報の流れの変化

二三年前に入院していた。その時にベテラン看護師が電子カルテについて話していた。病院では申し送りを行う。当然だが誰かが申し送りをしている時には他のスタッフは聞いている必要がある。必要なのだが申し送りはツライ。でも電子カルテであれば必要はことは各自が電子カルテに書いている。だからもし誰かが知らないとすると知らなかったヤツが悪いのだ。そして電子カルテにすると申し送りがとても楽になる。

電子カルテとはいうが問題は電子ではないのだ。この問題は情報の共有の問題なのだ。だから病院のスタッフルームのどこかに必要なことが書いてある壁新聞を作ってしまえば意味は電子カルテとそんなに変わらない。

インターネットも問題はパソコンやスマホではない。問題は情報の流れ方だ。出版でいうと本社編集部にすべての情報をいったん集める。そしてそこから(日本でいえば)全国に発信する。こういう風に情報が流れていたし、こういう風に情報を流すことが有効だったのだ。放送でもそうだ。キーステーションにすべての情報をいったん集めてしまう。そしてキーステーションから(日本でいえば)全国に情報を発信していた。やはりこういう風に情報を流すことがとても有効だった。

 

どこかに一か所にいったん情報を集めて、そこから情報を全国に(あるいは全世界に)発信するという情報の流れがある時に飽和したのだと今は考えている。

私はインターネット万歳ではない。でもインターネットではそういう風には情報が流れていないのだ。インターネットではそういう風には情報が流れていないのだ。噂話みたいに情報が流れている。バズるという言い方が典型だ。キツイことや激しいことがバズるわけではない。たとえばヒドクエロティックなことをSNS等で発信すれば大きくバズるわけでもない。そしてバズりのメカニズムはよくわからない。

 

大手広告代理店が厳しくなっている。そういうところは昔の情報の流れ方が前提の商売をやっていたのだ。それが大きく変わったのだ。

 

ハイボールが人気だ。ハイボール人気はあるところが(いわば)仕掛けている。だがここが大手代理店ではない。そこはインフルエンサーを動かしている。こう書くと仕掛けでしかないのだが。仕掛けだけでもなかったようだ。私はインフルエンサーと聞くと正直イヤな気分になる。(2023年の気分はそうだ)でもインフルエンサーがある記事を書いたからといって多くのひとが動くわけでもないのだ。

 

ある時期だったらテレビで大々的にCMを流すことにとても効果があった。これはさっき書いたような情報の流れ方が前提の話だ。インフルエンサーという言葉があること自体情報の流れが変わったことを意味している。

もちろん今の情報の流れが素晴らしいわけではない。私が言っているのはただそういう風に情報の流れが変わったということだけだ。今の情報の流れが良いとか素晴らしいということではない。

 

ただ実際こういうふうに情報の流れ方が変わったということはわかっている必要がある。