世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

年齢にはなにかある なにがあるのか知らないが

すべて敬称略です。

いきなりはじめる仏教入門 (角川ソフィア文庫)

はじめたばかりの浄土真宗 (角川ソフィア文庫)

 

厄年という。厄年は数え年だ。男は数え年の25歳、42歳、61歳が厄年。女は数え年の19歳、33歳、37歳、61歳だ。

私の場合だ。25歳は覚えていないが42歳の時に仕事を辞めている。当時は失意と激怒だった。それに若い時には一人暮らしをしていたのだがある時から両親と同居していた。でも仕事を辞める以外にもいろいろあってまた一人暮らしを始めた。61歳は今年なのだがここ数年でいろんなひととの縁が切れてしまった。いろんなところからも離れてしまった。やっぱり失意と激怒。

そうなったのは私がいったんボロボロになったからだ。でもボロボロにならないと私が変われなかったのも事実なのだ。

そういう風に考えると厄年の頃は人生のターニングポイントに当たる年だ。ターニングポイントを穏やかに変わっていくひともいるのだろうし私みたいにボロボロになりながら変わっていくひともいるのだろう。

若い友達が一頃ぐれていた。久しぶりにあったら「引っ越ししようかな」といっていた。環境が変わらないとひとは変われない。42歳の時に知り合ったひとが酒で悩んでいた。そして友達を変えるといっていた。そのひとは本来酒好きだ。そして酒好きの友達がいたのだ。そういう友達はわざわざおいしい酒とおいしい酒のつまみをもって遊びにきてくれていたそうなのだ。そのひとはもともと酒好きなのだからそういう風にされたらついついのんでしまう。そういうことがあるからだ。

 

50歳というのも何かある。宗教家にして宗教学者釈徹宗によると50歳は人生の再選択の年らしい。

私は単身で子供もいないがある年齢で結婚して子供がいるひとの場合50歳くらいになると子育ては終わっている。お金はまだ必要だろうしまだどころかもっと必要になるかもしれないが。

私が緊急入院していた時に芸能人夫婦の離婚が話題になっていた。その夫婦はずっともめている夫婦なのだ。一緒に入院していた人たちも「何やってるんだろう。ずっともめているのに」と言っていた。でも私は「この人たち50くらいじゃないかな。だったら人生の再選択の時期なんだけど」と思っていた。そしてそのご夫婦にはお子さんがいてSNSでなのだろうか「二人とも何やってるの?」みたいなことを発信されていたのだ。そのお子さんが何歳くらいかは知らないがお子さんがそういう風に冷静に「二人とも何やってるの?」と思えているということはそのご夫婦は子育てが終わったということだ。しかもお子さんはちゃんとされているのだから子育ても立派にされたということなのだ。お二人とも有名でショービスの世界にいらっしゃってお子さんもそういう風にちゃんと育ったのだから立派なものだと思った。

最近でいうと三浦瑠璃さんだ。女性でも働いていれば男の厄年になるそうだ。三浦さんのご主人の件は不明だ。実際わからない。ただあんな魅力的なひとだ。ああいうことでもなかったらメディアが離さなかったはずだ。

 

私は男だからわかってなかったが女性の場合は閉経がある。ヒドク明解だ。閉経に関してはあまり語られることがないが心理的なショックはそうとう大きいはずだ。男でいうと前立腺摘出みたいな意味がある。もちろん違うのだが。私は年齢的に色恋はないと思っている。子供を作るなんてまったく思っていない。でもち〇こをおしっこをするだけの器官だとは思っていないのだ。でも明解にそういうことがないと突き付けられてはいないのだ。

 

話を戻すが私はワーカホリックみたいになっていた。女性で家族のため子供のためという発想しかなくってしまうひとがいるはずだ。そんな感じだった。

緊急入院していてもヒマなのがとにかくつらかった。ごはんは出てくるしお風呂は沸かしてくれるし掃除もしてもらえる。だからヒマなのだ。それがホントにつらかった。でもあそこでヒマになれてなかったら私は変われていなかったのだ。

 

ボロボロになったことは事実つらかった。それはそうだ。でもああいうことでもないとやっぱり私は変われていなかったのだ。