2年くらい前に入院していた時に知り合いになった看護師から話を聞いた。
電子カルテについてだ。病院では申し送りを行う。日勤から準夜勤、準夜勤から深夜勤務、深夜勤務から日勤に引き継ぐ時に必要なことを伝えるのが申し送りだ。この申し送りが電子カルテだと楽だということだった。申し送りは普通口頭で行う。当然だがこの申し送りは聞いている必要があるのだ。これが大変なのだ。だが電子カルテなら必要なことは書いてあるので読んでないヤツが悪いのだ。だから申し送りがヒドク楽になる。
だから問題はITかどうかではないのだ。情報の伝達が問題なのだ。
また病院だからPHSで話をしていた。私が「それにバイタル載せたら便利じゃない?」といった。彼は「それが電子カルテなんだよ」といった。PHSが分からないひとが多いと思う。携帯だ。ペースメーカー等に影響を与えない携帯がPHSだ。バイタルもわからないひとが多いと思う。バイタル というのは血圧や体温や脈拍のことだ。
昔文化人類学の川喜多二郎がKJ法という情報整理の方法を開発した。KJ法はカードに情報を書いていく。川喜多二郎はあとでパソコンが一般化した時に「パソコンみたいなことをやっていた」と書いていた。
だから問題はパソコンではない。情報整理だ。
人間という。ひととひとの間が人間でもともとはジンカンと読んでいたらしい。
私のITの師匠がインターネットが一般化してきたころに「これをやるためにパソコンがあったんですよ」と言っていた。だから問題はパソコンではなかった。インターネットだったのだ。
私はインターネット万歳だとはまったく思っていない。でもインターネットはひととひととを繋ぐ存在なのだ。もちろんインターネットにはあまりにも問題が多いしインタネットを使わない生活を送るひとも尊重する。
インターネットなしでスマホを使っていてもスマホの魅力は発揮できない。そしてスマホのスペックそのものよりもインターネットとの関係がスマホにとっては重要になる。
インターネットやパソコンやスマホの意味に近いのは道路と車、線路と列車だ。
4WDの自動車やジープは道路状況が悪くても走れる。十分舗装されていない道でも走れる。でも一般の自動車はちゃんと舗装された道路じゃないと走れない。列車も線路がないと走れない。
このたとえだとパソコンやスマホが自動車や列車に当たり、インタネットが道路や線路に当たる。
このことをわかって欲しいのだ。