世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 10

すべて敬称略です。

 

やっとそう思えるようになった。今本当にのんびりゆったりしたい心底アクセクしたくない

ある時からFIRE(ファイアー)という。Financial Independence,Retire Earlyかな?経済的自立を遂げて早めに引退することか?

斉藤一人さんのユーチューブを聴きながら文章を書いている。話が逸れるが昔からお大尽(お金持ち)の博打がある。これはあくまでお大尽の博打だ。もちろん今の日本では公営ギャンブル以外は違法だ。こういうお大尽は今の貨幣価値でいうと一晩で100万くらい普通に負けてお礼まで言って帰っていく。今の世界のビリオネアなら一晩で1億くらい負けてお礼まで言って帰っていく。もちろんそういう人たちはお金持ちだからそういうことをしている。でも当然だがそういう人たちは本業がある。あるいは家に財産がある。そしてそういう人たちは博打やギャンブルでは負けたほうがいいということが分かっているのだ。理由は知らないがいわゆるギャンブル(典型は競馬だ)で大金を手にした人たちが実生活であまりいい思いをしていない。

私は生まれた時から貧乏だが友達にFIREに近い人たちが何人かいる。彼らはそういうことを特別いうことはないが子供の頃からお金のことで本当に大変だった人たちだ。そして悪いことやイヤなことをたくさん経験して知らず知らずに努力して結果うまくいっている。そして今は比較的ノンビリしている。彼らがそんな風にしている(していられる)のは子供の頃から本当に大変で「大変なのはもういいです」と納得しているからでこれを違う風にいうと「もう苦労はたくさんです」と納得できるだけの苦労をもうしている人たちなのだ。

上級市民という。

言ってはいけない―残酷すぎる真実―(新潮新書)

上級市民がFIREに文句を言っている。「FIREみたいなモノがいい生き方だという風潮はけしからん」といって。だが私は「あなたは上級市民でそもそもFIREなんか求める必要がないでしょう。上級市民はFIREになりたいとはそもそも思わないしそういうことはそもそも願わない。FIREになっているのは下級市民だけだから」。こう思っていた。

ZOZOの前澤友作さんが話題になっていた頃にあるひとが「金持ちじゃないと何もできないような風潮はよくない」といっていた。でもそのひとは上級市民だ。前澤さんの生育環境は知らないが金持ちには努力すればなれる。もちろん努力だけではダメだ。それ以外の要素もある。だがもう一回書くが努力すれば金持ちにはなれる。だがいくら努力しても上級市民にはなれないのだ。上級市民とはそういう存在なのだ。

上級市民は文句ばっかりいうと思って私はげんなりしていた。だがこういうことが起きているということは時代の風向きが(もうすでに)変わったということだ。

そういえば事実関係は不明だが政府高官の妻が事件を起こしたという話が話題になっている。事件の詳細は知らないがまるでドラマみたいな話だ。そういう言い方はもちろん不謹慎だ。だがあまりにドラマみたいな話だから週刊文春以外は相手にしなかったのは正直致し方ないと思う。そんなチープなドラマみたいなことがあるとはちょっと信じがたいしそんなことを政府高官や政府高官の関係者がするともやはり信じがたい。これは「私がそう思う」だけではあるが。

オタキング岡田斗司夫によると今は知識時代なのだそうだ。

第三の波 (中公文庫 M 178-3)

知価革命 工業社会が終わる 知価社会が始まる (PHP文庫)

時代の流れとして狩猟時代・農業時代・工業時代・知識時代、そしてポスト知識時代に入ろうとしている。あるいはもうポスト知識時代に入った。

芸人の島田紳助はそのひとの力を「(もって生まれたもの)×(努力)×(時代)」とした。

ChatGPTに代表される対話型AIが話題だ。具体的にはChatGPTはホワイトカラー多くのクリエイティブな仕事を行うようになる。ということはホワイトカラーと多くのクリエイティブ職の人たちは失業する。対話型AIはおそらくコーディングも行えるはずだ。だからある種のプログラマーSEも失業する。今すでに私はグーグル翻訳で本当に助かっている。今書いたような仕事は時代が「知識時代」だから優遇されていたのだ。そしてこういう仕事をしていたひとも上級市民だった。

時代の変化で意味や価値を大はばに失う技能がある。たとえば乗馬だ。ある時代には(あるいは地域では)馬に乗れる馬を扱う能力が高いことはとても大きな意味や価値があった。今の日本でいうとハーバード大学を出ていることに匹敵する意味や価値だったのだ。だが今の世界では乗馬にはそういう意味や価値はないのだ。

時代との関係はとても大きなことなのだ。ChatGPTのような対話型AIは知識社会を終らせる。そうするとある技能の意味や価値は大幅に変わる。そしてホワイトカラーいわゆるクリエイティブ職、プログラマーSEのような人たちは失業するのだがそれはChatGPTのような対話型AIが原因だというよりも知識社会が終わるからだ。そしてChatGPTのような対話型AIの出現の意味は知識社会を終らせるということなのだ。そして血筋が良いという理由や土地をもっているという理由(それは地主だということだが)という理由で上級市民である人々はまだこれからだが知識社会だからという理由で上級市民だった人々はそういう人々に先行して上級市民の座から落ちる。

個人的な話だが私は父親の多重債務に約50年苦しんだ。父親は元公務員だったから年金はあったのだが借金を借り換えてなんとかしようとしていた。私は「それはそうだろうけど働いてほしい」と思っていた。だが父親がそうすることはなかった。バブルの時には何でも寝上がっていたから借金してでも何かを手にすればよかった。とにかく何でも寝上がっていたのだ。だがバブル崩壊後はそういうことは通用しなくなった。ウチの父親はずっとバブルの感覚でいた。もっと前の高度経済成長期の感覚でもあった。そういう時代なら父親がやっていたようなことでうまくいっていたのだろう。だが時代が違っていた。

そして日本の(世界の?)ある種の組織制度疲労を起こしている。有能でロイヤリティが高いひとが「もう限界です」ということがあってある企業や組織を辞めることがある。そういうことがあってしばらくするとその企業その組織がおかしくなる。具体的な企業名が上げないが。かつて繁栄を謳歌してその語おかしくなったところでは全部こういうことがあった。やっぱりこうおいうことは一貫してある。そしてこれが企業や組織にとどまらずひとによっては日本で仕事をすることがあまりに苦しくて海外に行ったひともいる。

法律も制度疲労を起こしている。国際政治学者の三浦瑠璃がわかりやすいたとえを使っていた。民法についてだったが。増築に増築を重ねて迷路みたいになっている旅館みたいになっているというのだ。新館と本館と別館があって廊下でつながっているのだが全体が迷路みたいになっている旅館がある。日本の多くの組織や法律はああいう風になっている。

ジャニーズ事務所が問題になっている。ああいう風になってしまうことの原因の一つは日本社会の制度疲労だ。三浦瑠璃がいうように日本全体が増築を重ねた旅館みたいになっているのだ。これはおそらくいわゆる西側先進国は全部同じだ。増築に増築を重ねて迷路みたいになている旅館みたいになっているからどこから手をつけていいのかわからない状況なのだ。そうすると短いフレーズをいう人々が出てきてそういう人たちはヒドク魅力的だ。代表が「移民が悪い」だ。「右翼悪い」「左翼が悪い」「在日特権が悪い」「政治家が悪い」「官僚が悪い」のように。全体が増築に増築を重ねて迷路みたいになっていることは多くのひとがわかっている。このことは多くのひとはわかっているのだ。

国と企業は関係が冷え切っているのに離婚しない夫婦のようにたとえられる。関係が冷え切っているのに離婚しない夫婦は簡単な間柄ではない。やっぱりひどく複雑な間柄だ。税金をどうするのか話題になっている。税金については立法府である国会で決める。だが実際は財務省の意向も存在する。そして税金を払うのは個人でもあるが民間企業でもある。もうこの時点でひどく複雑だ。そしてグローバル企業も存在する。さらに複雑なのだ。国同士の競争もある。たとえば日本で企業の税金をたくさん取るようにすると海外に企業が逃げる可能性がある。「私は違うひと(国)と結婚します。あなた(ある国)とは離婚します」といわれる可能性があるのだ。いくら関係が冷え切っていたとしれもそういうことはイヤなのだ。これは国の方がだ。具体的には仕事が減るし税収も減るからだ。

こういうことをどうしたらいいのか私にはわからない。あまりに難しい問題だ。だから一人ひとり考えるしかない。だが経験上だが苦しい時には目先のことだ。いろいろ考えていると苦しくて死にたくなるから目先のことだけをやって先先のことは考えないというのは一つの解だ。

モノづくりをやっているひとは経験上わかっているがある方向で3年ガンバって来ても結果がでない。それだけじゃないくて自分で今の方向性が疑わしくなったとき(この方向でいくらやっていても良い結果がでないように思えたとき)にはそれまでやってきたこを捨ててぜロから違うことを始めたほうがいい。

だけど人間誰も損切りが苦手だ。損切りというのは「今はマイナスだがこのままやっていけば今までのマイナス分も含めて取り返せるかもしれないときに今やっていることを捨てること」だ。こういうことはイジメ問題DV問題にもある。もちろんそれだけではないのだが。学校や職場でイジメられている時や家でひどいDVで苦しんでいる時に学校や職場や家のことを投げ出してしまうことを損切りだと考えてみる。逃げ出すこともそうだ。いろいろあらがったり考えたりしないで逃げてしまうのだ。そうすると今までの損(というとおかしいがいろんな痛みや苦しみ)はそのままだ。つまり損のまま。だがそこでガンバルとイジメを乗り切ってあるいはDV亭主がやさしくなってそれまでの痛み苦しみを取り返したうえに素晴らしい関係や素晴らしい未来を手にするかもしれないのだ。この状況で投げ出したり逃げ出したりするのが今の話の流れでいうと損切りなのだ。

ひとのことはわかる。ある状況のひとに「あなたがそこで頑張っちゃうから余計に大変なことになっちゃうのであって」と思ったことが過去何回かある。

だが人間誰もが損切りが苦手なものだ。

損得で考えるのはおかしな話かもしれないがそこでは損かもしれない。というより損でしかないのだ。だがそこは損でも、そういうことは投げ出して、あるいはそういうところから逃げだして、違うところでゼロから始めてプラス得を重ねたほうがトータルではプラス得になることも多々あるものだ。こういう風に損得で考えることに嫌悪感を持つひとも多いことはわかるが。

たとえば学生は学校が世界のすべてのように感じる。だが学校を出ると学校以外の世界が膨大に存在していることを(いわば)発見するものだ。

話がやっと戻ってきた。上級市民が文句ばかりいうと思ってゲンナリしていた。上級市民が文句をいっていることはすでに時代が変わったということを意味しているはずだ。FIREも前澤友作も成功者だ。「成功してけしからん」と上級市民たちがいっているのだ。

以下は個人を問題にした話だ。江副浩正堀江貴文前澤友作。事実何があったのかは不明だしここでは問わない。問題にしない。3人ともボコボコに叩かれた。だが叩かれれ方が後者になるにつれてすくなくなっている。とはいえ叩かれたのだが。この3人の叩かれ方の変化は明らかに時代の変化だ。

 

そして私もこれからいろいろなことをやるのかもしれない。そうかもしれないが今はとにかく休みたい。頑張らなきゃとも思うのだ。だがいまは骨のずいまで疲れている。今の私にそんな余裕はない。だが本当に骨の髄まで疲れているのだ。本当に心底休みたいしノンビリしたいのだ。

今は自分(の身体?)がそう思ってくれていることに感謝している。

だいたい私は還暦だ。ちょっとくらいノンビリしたって良い年齢だし頑張ったら若い人たちの邪魔になる年齢だ。

ただこう思えたわけだからいままでアホみたいに頑張ってきてよかった。だいたいこの記事は400字詰め原稿用紙換算で12枚程度ある。つらい時苦しい時に力がついているというのはどうやら本当らしい。長年楽している人たちが本当にうらやましかったのだが。努力しないで結果がでるはずがなかった。そしてどうやら時代も変わったらしい。

(もって生まれたもの)×(努力)×(時代)」なのだ。いくら力があっても時代と合わなければゼロになってしまう。