世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

スタッフの満足度と視聴者の忖度

局のアナウンサーだった男性が局アナ時代を振り返って「(藤井聡太の)勝負メシの取材がイヤだった」といっていた。
テレビ局を辞めてあまり時間が経たないのにそういうことをいうのはどうかと思ったのだが「やっぱりああいうのはイヤだよね」と思った。
今はたぶん大谷翔平の元通訳の件とかをやっているのだろう。
「そういうことで視聴者が観るはずがないではないか」というのはごもっともだ。

専門用語は使わないが経営学で「顧客満足度とスタッフの満足度は正比例する」という。
顧客の満足度をあげるためにはスタッフの満足度をあげるしかないのだ。
キレイごとのようだがこれは事実そうだ。
テレビ番組でいうと「視聴者の満足度とテレビ番組のスタッフとキャストの満足度は正比例する」ということになる。
だから視聴者の満足度をあげるためにはテレビ番組のスタッフとキャストの満足度をあげるしかないのだ。

だがこれは日本全体の問題なのだが自分がこういうことに満足なのかどうかがよくわからない人たちが大量にいる。
テレビ関係者に限らずだ。
特にある組織の中にいる人たちでそういうことがわからなくなっている人たちがいるのだ。
だからおそらくテレビ局でもそうなのだろう。

そしてテレビ番組の制作現場でも自分がどういうことをやりたいのかがそもそもわからなくなっている人たちがそうとういるはずだ。
そしてそういう風になることがプロフェッショナルなのだと勘違いしているひともいるはずだ。

 

実態は知らないがある時からテレビを見ていてテレビ番組のスタッフもキャストも「こういうことはあんまりやりたくないんじゃないのかな」と思っていた。
それどころか「こういうことをやるのはイヤなんじゃないのかな」とも思っていたのだ。

今いろいろ話題になっている大物芸人大物タレントの番組もあまり好きではなかった。
周りの出演者が彼らに気をつかっているように思えたからだ。
そういうことで観ていて勝手に疲れていた。
別に礼儀やいろんなことを無視しろといっているわけではない。
番組出演者とスタッフの「疲れ」のようなモノを感じていたのだ。
疲れを感じていたということは出演者の「満足度が低さ」を感じていたということだ。

 

忖度という。
今の視聴者はテレビ番組を観て勝手に忖度している。
「この企画ってそうなんだろうな」とか「このキャステイングはそういうことなんだろうな」と。
事実がどうかは知らない。
ただ視聴者がそう思うということはテレビ番組の出演者スタッフが不満だという風に感じているということだ。

そしてこれはテレビだけの問題ではない。日本全体の問題なのだ。