世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

思考の流れの失敗

すべて敬称略です。

 

 「仕事なんだから」というのはごもっともだ。だが仕事に関してはあるべき思考の流れがある。これが失敗している人たちが大量にいる。私も失敗していた。

 テレビや音楽のようなところでは「好きなこと」「やりたいこと」をやるのが筋だ。思考のスタート地点はここだ。でもただ「好きなこと」「やりたいこと」をやっていても食べていけない。本人も周囲もだ。だから「これ(好きなことやりたいこと)をやっていてどうやったら食べていけるのかな」という風に思考が流れる。

 食べていくためには単純な話売れなければならない。顧客に受け入れられる必要がある。いわゆるエンタメ産業の場合はこういう思考の流れがあるべき思考の流れだ。

 でもこういう産業で最初から「売れる」ということを目指すと話がおかしくなる。そういうことは「こういうことをやっていても売れないなあ」ということのあとに来る思考だからだ。

 私は抽象的な良い話をしているわけではない。間違った思考の流れでなされた仕事は事実結果が出ていない。簡単な話売れてない。結果がそうだから間違っているといわざるを得ないのだ。

 

 「やりがい」という。一般的な仕事の場合はやりがいは重要だ。というのはたいていのひとにはやりたいことなどないのが普通だから。

 養老孟司が仕事について書いている。道路に穴が開いている。そういう穴は誰かが埋めなければならない。それが仕事だという話だ。そういう仕事は誰もやりたいわけではない。ただそういうことがあるとみんな困るから誰かがやらなきゃいけない。だからやるだけだ。でもそういうことをやっていると「ありがとう」といわれたり感謝されたりすることがある。「やりがい」というのはこういう「ありがとう」と言ってもらうことだ。

 つまりやりがいは後に来るのだ。

 そして私自身も経験があるがあることをやっていて(仕事でだ)「感謝されいるな」と思えればやれるものだ。だが「自分がこういうことをしているのを当たり前だと思われている」と感じるとできないし腹が立ってしょうがないものだ。

 

逃げるは恥だが役に立つ(1) (Kissコミックス)


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 主人公の女性は派遣で働いている。その職場でタンブラーを目の前に置かれる。意味は「洗え」だ。こういう「当たり前だ」という感覚に多くのひとは激怒している。私もそういうことでずいぶん怒ってきた。言葉やカタチにしてもらったほうがいいが感謝しているということがこっちに伝わればこっちはバカだからやるのだ。そうじゃなければ「申し訳ない」という気持ちがあれば。

 これも抽象的な良い話ではない。そういうことをやっていた(やっている)人たちは結局悪い結果を本人たちが受け取った。結果がそうだから間違っているというしかない。個別の企業でいうとそういう企業は業績が悪い。そういうことが一般化している業種は業種として調子が悪い。

 悪口をいいづらくなっているがある種の主婦たちもそうだ。「このひとママ友付き合いも親戚づきあいも厳しいだろうな」という人たちが大量にいる。

 私はサービス業をやってきた。ある種の主婦たちがいかに偉そうで横暴だったかを事実知っている。彼女たちには感謝の気持ちなどなかった。そういうことの結果がああいうことだ。