世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

仕事のない現代社会

マスコミ批判テレビ批判がここ数十年ずっと続いている。だからもうそういう話は聴きたくないひとが多いと思う。私もそうだ。そしてそういうことには触れたくもない。

 

だがマスコミやテレビに関して暮らし方の変化(ライフスタイルの変化)という切り口で考えてみようと思う。

 

NHKで朝の連ドラを放送している。また民放でワイドショーを放送している。ああいう番組の視聴者は主婦だ。それも専業主婦。そうじゃないとあの時間にリアルタイムでああいう番組を観ることができない。

ここではテレビ視聴者を顧客と書く。

ああいう番組の顧客が専業主婦だからNHKの朝の連ドラは女性の一代記だしワイドショーの内容がああいうふうなのも番組の顧客が専業主婦だからだ。少なくとも顧客のイメージはそうだ。

そしてそういう専業主婦は(主婦だから)結婚している。彼女たちの配偶者はサラリーマンだ。

彼女たちの配偶者のサラリーマンはある時間に起きてテレビをちょっと観て会社に出かける。そういう時にはテレビでニュース番組や情報番組をやっているのが望ましい。彼らはある時間に仕事から帰ってくる。そういう時にはクイズ番組やある種のドラマが放送していて欲しい。そういう番組を一家で観るのだ。

そして日常の夜にはNHK大河ドラマを観る。サラリーマンの多くは日曜は休みで月曜から仕事だ。「明日から仕事だ」という日の夜にはああいうドラマが観たいのだ。

 

新聞や週刊誌のような雑誌についても同じように考えてみる。

 

新聞や週刊誌のような雑誌の顧客も(少なくとも顧客のイメージは)やはり専業主婦とその配偶者のサラリーマンであるはずだ。

 

でも事実として専業主婦もサラリーマンも今の日本では減少している。だいたい専業主婦という存在は昔からあるものではない。ああいう存在はある時期に生まれている。家が農家だったら主婦も家事以外の仕事をすることが多いしご商売をやっている家でも主婦は家事以外の仕事もするのは普通だ。

 

話がそれるが年金制度がある。国民年金のイメージは①家は農家か商売をやっている②子供と同居している③そして基本親の面倒は子供が見るだ。

そうだとすると家賃もいらない食費もいらない。国民年金の支給額があの程度なのはそういうイメージだからだ。

 

共助というのはありうると思う。だが共助していくのなら家のハードから考える必要がある。同居は揉めるものではある。それはそうなのだが同居していると自室(自信も夫婦で共用しているともある)のほかは共用だ。家族だから当然だが。リビングも共用、ダイニングも共用、キッチンも共用、バストイレ洗面所も共用なのだ。

こういうふうに暮らせば安上がりなのだ。

 

そして橋本治が前に「世界中に下町があったのだがそれがある時から世界中からなくなった」と書いていた。下町というのは昔のイタリア映画によくでてくる。都会で洗濯物が干してあって子供たちが走り回っている。

下町は日本のマンガアニメでいうと「じゃりン子チエ」の世界だ。チエちゃんの家は家の道路に面したほうは店舗だ。そして店舗の奥に住居スペースがある。

 

世界中から下町が消えていくとともにスラムが生まれている。考えてみるとスラムが生まれるのは当然だ。仕事がないからだ。

メンタルを病んでいる友達が「いちおう家を出ないと近所の目があるから」といっていた。私もメンタルを病んでいるのだが。若い人(特に男性)が家や近所でプラプラしているとおかしいのだ。家や家の近所には仕事がないから。

都会は基本オフィスワーカーが働いている。そして彼らの多くは郊外に済んでいる。単身ならともかく結婚して子供ができると郊外に住むのが一般的だ。

そうなると家にも家の近所にも仕事がなくなる。

 

この文章に答えはない。それはひとりひとりが考えてもらうしかない。

 

ただこういうことから考える必要があるのだ。