世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

「近江商人三方よし」の合理性 テレビ界の現状から考える

すべて敬称略です。

 

 

遠くから話を始めるが思想家がいわゆるいいことを言っている時はたいてい人のことも世間のことも冷たく見ている。今のヨーロッパを代表する知性の一人ジャックアタリが「利他主義」と言っている。これは日本のことわざでいうと「武士は食わねど高楊枝」だ。何故武士は食わねど高楊枝かだ。そうしたほうが長い目で見たら自分が得で良い思いをするからだ。

 

近江商人三方よし」という売り手買い手世間の三方がいいから三方よしだ。

 今のテレビの現状を見ていていて「近江商人三方よしは当たっているな」と思った。個別にもいろいろあるが視聴者のことが置き去りになっている。テレビの場合は視聴者がいわば顧客で買い手だ。民放の場合は基本視聴者はテレビ番組を無料で見ているのだがそれでも意味の上では視聴者が顧客で買い手なのだ。

 実際どうかは知らないが多くの視聴者が「こういうのは売り手(ここではテレビ制作者や事務所や代理店)の都合なんだろうな」と思って多くの視聴者はテレビを見ている。ドラマやバラエティのキャスティングもそうだ。テレビ番組を(例えば)夜8時ちょうどから始めないで微妙に時間をずらして始めるようなこともそうだ。あれは売り手の都合だ。

 売り手の都合だけ(のように思える)テレビ業界の調子が結果悪い。

 日本の芸能界もそうだ。実際のことは知らないが芸能界の、都合が圧倒的に優先されている(ように見える)。結果日本の芸能界の調子が悪い。

 

 考えてみると政界もそうだ。これは右左は問わずにだ。政界の三方(売り手買い手世間)が何なのかは不明なのだが。日本のテレビ界芸能界の現状から考えると日本の政界も今みたいなことをやっていると力を失っていくことになるはずだ。

 

私はまだタバコを吸うのだが昔喫煙所でタバコを吸っているとスーツを着た男たちがふんぞり返っていた。彼らはふんぞり返っているという自覚はなかったが。そういう連中は喫煙所の中で平気で良い場所に陣取って仲間内の話をしていた。そういうところに奴らの仲間ではない誰かがいてもおかまいなしだった。「ちょっとは気つかったら」と思っていたのだが。ああいう連中も結局そういうことになったようだ。これも同じだ。だから「近江商人三方よし」は確かにきれいごとだ。だがキレイごとは当たっている。