世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

マーケティングの発想と家族のあり方

世間で言っていることがよくわからないことがある。マーケティングというがどういう意味でマーケティングという言葉をつかっているのか私にはよくわからない。

 

マーケティングが生まれたのは大恐慌下のアメリカだったはずだ。当時あまりの不況でモノを売れなかった。何をどうやっても売れないのだ。そういう状況が続くなかで気がつく人たちがいた。「自分たちが売ろうとしているモノって世間の人たちは必要ないんじゃないの?」と。「それじゃ世間の人たちが欲しいもの必要なものを売らなきゃ」。

これがマーケティングの発想だ。そしてマーケティングがうまく行った時にはセリングなしで売れる。セリングというのは売り込み(?)か。プロモーションもセリングになるはずだ。だが世間ではプロモーションのやり方のことをマーケティングと言っている(ような気がする)のだ。

 

今の日本にはマーケティングは必要なものだ。

土居善晴の「一手一菜でいいという提案」という本が人気だ。私も買って読んだ。

ただ私は(多くのひとも)世間のたちが家で何をたべているのか(実は)知らないのだ。

今悪口をいわれ当ているテレビもだ。ワイドショーやNHKの朝の連ドラで想定している(イメージしている)視聴者は専業主婦だ。だからワイドショーはああいう内容だしNHKの朝の連ドラは女性の一代記なのだ。昔の主婦は話題も少なかった。だから政治や経済についてもわかりやすく伝える必要があった。イメージしている視聴者が専業主婦だから芸能人のスキャンダルも取り上げる。

今もワイドショーやNHKの朝の連ドラをリアルタイムで観ている視聴者はいる。だがそういう人たちがどういう人たちなのかがわからない。私がわからないだけではなくほとんどのひとにわからないはずだ。

わからないから市場調査を行うのだ。

ただ顧客は自分がこういうモノが欲しい(テレビ番組でいえばこういう番組が観たい)ということは明快ではない。

そういうモノやそういう番組があらわれた時に「そうそうこういうのが欲しかった(観たかった)んだよ」と思うものなのだ。

またここでは製作者にするが作っているひとの感覚やニーズも重要になる。たとえばある時間帯で働いていると家に帰ってドラマを観たくなることがある。こういうことを製作者自身が感じられることも重要だ。

 

コロナ禍で腰掛けコタツが売れた。あれは対してプロモーションは行わなかったはずだ。それにあれを作ったひとは自分が腰掛けコタツが欲しかったから作ったような気もするのだ。

 

少子化対策とはいう。これは女性に子供をうめという話ではない。そうではなくて大企業勤務の男性で妻が専業主婦であったとしても子供が5人も6人もはいないのが普通だ。今どきそんなふうにはいわないだろうが共稼ぎ夫婦であってもそうだ。

これは与野党性別問わず政治家であってもそうであるはずだ。

たとえばこういうことに関して「自分は(性別問わず)なぜ子供が5人も6人もいないのか?」ということを考えてみるのだ。

私の感覚では子供が3人いると子供は多い。

こうなると家の設計を考える必要がある。3LDKの家では子供を5人育てるは大変だ。寄宿舎つきの学校(それも小学校)が必要かもしれない。

こういうこともマーケティングの発想だ。