上はマイノリティ優遇制度に関する議論の抜粋だ。
ドラッカーがサッチャーさんの政策はなにもかも失敗だったと書いている。ただ一つだけうまくいったという。それは公共住宅を安い値段で住んでいるひとに払い下げたのだ。公共住宅は日本でいえば賃貸の団地。これを安い値段で住んでいるひとに売った。この政策はうまくいったという。
情から考えてもそれはそうなるはずだ。
日本では昔は若いひとで(昔は男が多かったが)昼間企業のアシスタントをやっていて夜学校にいっていたひとがいた。書生が存在した時期もあった。お金持ちが優秀だがカネがない学生を家を住み込ませて家のことをやってもらいながら学校に行かせていた。ある時期の日本ではこういうひとを書生といった。その頃は書生がいるのはステータスシンボルだったらしいし書生をやっていたひとが出世した場合には仕事上で恩恵が帰ってくるという計算もあったようだ。
ワタシは家が貧乏だったから戦前だったら師範学校か士官養成学校か陸軍中野学校をめざしていたはずだ。
ただモノの本によると師範学校出身の教師は荒かったらしい。乱暴なひとが置かったらしい。
それがあるから平和憲法があってよかったのかと思っている。実際進学のとき防衛大学校は考えた。スパイを本格的に日本で育成するという議論に関しては言いよどんでしまう。陸軍中野学校があれば自分が目指していたからだ。
フェアという。ワタシのタトエはどういうわけだが卑俗になる。ここがパチンコ店だとしよう。フェアだというのはイカサマはやらないということだ。人生はギャンブルではない。だがフェアだということはイカサマはやらないということでしかない。
自分は努力をしたから今のポジションを得たんだというひとがいる。そして彼らは努力をしなかったからああなんだというのだ。
そうだ。これは事実そうなのだ。
だが昔からいうように「孟母三遷」で「朱に交われば赤くなる」なのだ。
「誰に会ったか」「どういうグループにいたのか」で人生は大きく変わる。これは運でしかないと思う。あるいは偶然という要素が多い。
ワタシの中学の図書館の司書をやっていた方のお子さんが高校の先輩でフォークソング同好会に入っていた。フォークソング同好会という名称が牧歌的で良いのだが。それがあったからワタシはフォークソング同好会に入ったしそれがなかったらフォークソング同好会に入ることはなかった。中学のときになんとかアコースティックギターを手にいれていたかしなんとかなった。高校のときにあのグループにいなかったらその後のワタシは全然違う。
そのグループではワタシは出来ない方だった。できるグループはバンドをやっていてそのバンドには誘われてもいないのだが当時のワタシから見ても彼らは才能もあって能力も高かった。だがそういうグループにいなかった人たちよりはそういうことに関しての知識もあるし技術もあった。もう忘れたが「ういろう売り」を覚えてみたりコーリューブンゲンをやってみたりしていた。楽器店でバンド譜を買ったりピックを買ったりしていた。
ITオタクのグループにいたこともある。そのグループでは出来ない方だった。でも一般的にはできる方だった。
あるグループにいるとそのグループの普通に染まっていく。そのグループでの普通がある種の努力をするのが当然であることは多いのだ。
ある時期からの日本で節税という。あるいは〇〇という補助金が出るのに使わないのはもったいないともいう。
こういうことはマインドセットの上でよくない。悪いのだ。こういうマインドセットではなくて「もっとお金を稼いで楽しく暮らす。そして税金もたくさん納める」というマインドセットの方がいい。日本全体がこういうマインドセットに切り替える必要がある。一番の社会貢献は税金を納めることだ。
さっき書いたパチンコ店の例で考えてみよう。多くの日本人が「誰かがイカサマをやっているような気がする」と思っている。場合によっては「このパチンコ店そもそもがイカサマをやっていて自分だけには出ないようにしている」と思っている。
これはタトエだがこのパチンコ店というのは国や自治体や国際社会ことだ。
みんなそう思ってない?ワタシはそう思っているよ。陰謀論者なのかな?