世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

挑戦

私が困っている時に誰かに何かをいうと(相談すると)「そういう時はこうすれば良い」というひとがいる。あるいは「そういう時はこういうところに行けばいいんだよ」というひともいる。

知人も同じ経験があると言っていた。

だが世の中はそういうものではない。だいたいそういうことを私たちは知っているのだ。そういうことをすれば良いとかそういうところがあるようなことはだ。

だがそういうふうにしたらどうにかなるものでもないし、そういうところに行ったらどうにかなる(してもらえる)ものでもない。

私や知人にはそういうことは自明なことだ。だが向こうにはそういうことは自明ではないらしいのだ。

 

前にパワーコメンテーター云々と書いた。パワーコメンテーターが「こうすれば良い」と行っていることがある。だがそうならない(現実はそういうことではどうにもならない)ことも多い。

 

パワーコメンテーターの一人が当事者になっている。彼が取りざされている件について私は知らない。事実として知らないのだ。だが今彼は当事者になっている。

これは週刊文春も同様だ。今回は訴えられているようだが違うカタチで週刊文春週刊文春の記者や編集部の人間たちが当事者になることが今後出てくるだろう。

 

こういうことに関してはスポーツが良い。余裕がある家庭なら子供にスポーツをやらせたほうが良い。格闘技のような〇〇道も良い。

ああいうものは「努力したら勝てる」ものではないのだ。「頑張ったらレギュラーになれる」ものでもない。

じゃあ「手を抜いたら勝てるのか」というとそういうわけでもないのだ。

こういうことを学習するためにはスポーツはとても重要だ。