今から思うといままでいろんなことがうまくいかなかったのは当然だった。自己像セルフイメージが「自分はダメ人間」だったからだ。基本OSだそうだったと言ってもいいし既定値がそうだったといっても良い。繰り返し書いているがこれは事実の問題ではなく認識の問題だ。
ネットでからんだだけだが尊敬している加藤秀視もやはり認識を問題にしている。
私の話でいうとガンバッて結果を出すことに固執している時期が長かった。でもガンバッて結果を出したとしても基本OSが「自分はダメc人間」であることにはかわりはなかったのだ。だから基本OSを変更する必要があった。でも基本OSの変更は難しいものだ。そういうOS上(?)でなんとかしようとしていた。そしてそういうことではうまくなかかった。
加藤秀視は「ある状況のひとに明けない夜はない」というのは間違いだといっている。これも認識の問題だ。大人でもある状況に陥ると「生まれるまえからずっとツラくて今もツラクで未来もずっとツライ」ように認識するものだからだ。もちろんこれは事実ではない。だがそういう認識を持つことは大人でもあるものだから。
こういうことの典型がウツだ。
ただこういう認識の問題とは違う問題で身体の問題がある。
何度も取り上げている本だ。吉本隆明の「ひきこもれ」。
吉本は「10年いっちょ前説」を唱えている。10年ある仕事をやっているとそうい身体になるという話だ。吉本は著述家だから「物書きを10年やっていると腰が悪くなる。そうなった頃に物書きで食べていける」という説明をしている。
この意味は「身体がかわった」ということ「そういう身体になった」ということだ。
私も10年サービス業をやった頃に自分では同じように仕事をしているだけなのになにかが変わっていた。それはやはり身体が変わっていたのだ。
そういうふうになった後にある場所で「年末年始みたいな店が混んでる時にご飯を食べに行くと疲れる」とあるひとにいった。彼も飲食業をやっていたひとだったのだが彼は「シュエさん(その頃私はそう呼ばれていた)は客で店に行っても疲れをもらってかえってくるんだ」といって笑っていた。その彼は焦ったのか怨恨を抱えていたのか不明だが破滅してしまった。
この話でいうと怨恨が論点になりそうだ。私もそう考えていた。でもやっぱり思考認識の既定値、基本OSを論点にすべきなのだ。ワタシたちのようなひとは「自分はダメ人間だ」のような自己像セルフイメージとホラー映画やギャング映画のような世界観を持っていることが多いのだ。
そういう自己像セルフイメージと世界観を持っていたとしても「そういう身体」になっていることもある。
これはある種の成功のパターンだ。若い時(には限らないが)大きな挫折をしたひとが20年後か25年後に成功する。
政治の季節には学生時代に政治運動をやっていた人たちがいた。全共闘がそうだ。そういうことがあると良い所に就職できない。こういう人たちが日本のいろんなところにいた。もちろん保守系の政治家になったひともいたが。原発と農協とかにもいた。こういう人たちが日本にとって重要だった。
私たちはバブル世代になるがこの世代でバブルで浮かれられなかった人たちがいた。80年代負け組だ。こういう人たちも日本にとって重要だった。バブル崩壊で本当にツライ思いをした人たちもずいぶんいる。この人たちもやはり日本社会にとって大事な存在だった。
この20年あるいは25年ということの理由はわからない。でも実際そういうひとが多いのだ。