前に似たような環境(ということは不幸で下げ止まっている)女ともだちから「大学いったんでしょ。良いなあ」といわれた。その時は大学生活はカネがなくて挙げ句のはてに中退したのだからと思った。つまり全然楽しくなんかなかったのにと思ったのだ。だが経験として事実私は大学生活を送ったわけだしその経験ができたことがうらやましいという意味だったようだ。私は結婚もしていないし子供もしない。また就職もしたことがなる。80年代はウツでも就職できない時代だったのだ。
余談だが凶悪犯罪者が精神鑑定にかけられる。私から見てもあまりに残虐すぎる犯罪の場合「やっぱりおかしかったんじゃないか」とは思うのだ。だが正直迷惑な話でもある。だがやっぱりあんなに残虐な犯罪を行ったわけだからおかしいんだろうとも思うし。思考がループしてしまう。
前に緊急入院した時に病院によそから来たベテラン看護師あいた。Mさんという。同じ病院にもう一度緊急入院した時にはもうMさんは退職されていた。
上はtogetterの記事だ。職場のストレスがツライから企業したいというひとに転職をすすめたら切れられたという記事だ。
昔から「段取り八分」という。段取りができるかどうかはある程度は決まっているような気がする。
Mさんが退職されたのはストレスが原因だ。ベテランではあるがそこでは新人。だから「ここのシステム(段取り)には相当問題があることはわかるのだがベテランだとはいえここでは新人なので自分がここのシステム(段取り)に口出しするのは筋が違う」ということがあまりのストレスだったのだ。
こういうことでストレスが溜まっているひとは多い。
そして女性に多いのだがある部分だけの効率(?)を考えてある部分を変えてしまう。でもそうすると全体の流れ(?)がおかしくなってしまうのだがそういうことがわからない。それで周囲が困ってしまう。こういうひとも談度れないひとだ。
段取りができるひとはある程度決まっているような気がする。そういう適正があるひとはそもそも段どれるがそういう適正がないひとに段どれといっても難しいような気がするのだ。
今風の言葉でいえば段どれるひとはジェネラリストでそういう適正がないひとはスペシャリストだということにはなるが。
上はNHKONLINEの鳥山明氏が亡くなったニュースだ。坂本龍一がなくなった時にも感じたがひどい喪失感だ。
段どれるひとはプロデューサーに向いている。あるいは編集者に。
上はDr.マシリトの解説だ。当時ジャンプの編集者だった鳥島和彦がモデルだ。鳥山明は鳥島がほんとに嫌いだったらしい。
これは宮崎駿もどうようだ。プロデューサーの鈴木敏夫が本当に嫌いらしい。そういう風になるのも当然だが。鈴木はずいぶん強引なことをずいぶんやっている。
「君たちはどう生きるか」に鈴木を出している。「サギオトコ」というキャラクターだ。明らかに鈴木だ。
ただアメリカの大物プロデューサーは刑務所に入っているらしい。悪人だというひともいる。このひとはもののけ姫のアメリカ公開の時「90分にしてくれ」といっている。もちろん強引だ。だが金曜ロードショーの二時間のワクでも実際90分程度だ。だいたいコドモのみるわけだし90分程度にするとうい判断はプロデューサーとしてはおかしな判断ではない。ただ現実にこの方は刑務に入っているらしいのだ。
私は同病相哀れむのだ。そして自分がそうならないで良かったと思っている。
昔タイタニックを観た時「自分がプロデューサーだったら監督を恐喝したかもしれない」と思った。私はそういう仕事についていないのだが。
映画タイタニックはほぼ大スターになる前のディカプリオとケイト・ウィンスレットのラブストーだけの物語だ。ああいう大きな映画であればいろんなスターに出演しもらって他のエピソードを入れるのが定石だ。そうするといろんなスターのファンも映画を見に来てくれるかもしれないからだ。あるいはいろんなスターのファンも観に来るような脚本にするのが定石だ。
映画は興行でギャンブルではない。だがあんな大きな映画をまだ大スターになる前の二人のラブストーリーだけにするのはルーレットでいえば一点張りだ。それはあまりにもリスキーだ。
とはいえ映画は興行でギャンブルではない。ジェームズ・キャメロンにはなんらかの勝算があったのだと思うのだ。こういう勝算を説明するのはひどく難しいものだ。
そしてハイリスクハイリターンはローリスクハイリターンは事実でタイタニックはハイリスクではあったがハイリターンだった。それはお金だけの問題ではない。その後のジェームズ・キャメロンの仕事にも良い影響を与えたしディカプリオはこの映画で大スターの仲間いりをしたのだ。
そして私は事実刑務所にはいるようなことはしていない。これは大きい。