世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 39

知識は一応役煮立つものだ。知識が役に立つという意味はお金が役に立つのと同じだ。知識はお金程度には役に立つ。違う言い方をすると知識はお金ていどにしか役に立たない。

あるところに本当にイヤなヤツがいたとする。そういうことがあって自分がそこから

離れなければならないことがある。そういうヤツのせいで仕事を辞めなきゃいけないこともある。こっちは泣き寝入りだ。そういうヤツのために仕事を辞めなきゃい8けないなんて。だがそういうときにそういうイヤなヤツは菩薩(?)なんだと昔生長の家の本で読んでいた。

一応そういうことは知っていた。ここ10年くらいそういうことが何度もあった。あるところをクビになっている。その件についてはとりわけ怒っていた。「仕事をやめるにしてもせめてこっちからやめるというカタチになるのが当然だ。それを向こうからクビだなんて」という意味でとりわけ怒っていた。

若いひとが一頃バイブズといっていた。波動だ。自分のはどうが変わっていたのだろう。そうするとカタチはどうであれいろんなひとやいろんな場所とはあわなくなっていく。

そして年齢もあると思うのだ。厄年という。厄年のもともとの意味はわからない。だがあの頃は人生の節目だ。人生の方向が変わるような年頃。だからいろいろあって人生の方向が変わるひともいる。これを違う風に書くといろいろないと人生の方向が変わらないともいえるのだ。

孟母三遷」という。孟子は古代中国の思想家だ。孟子のお母さんが教育ママで孟子が子供の頃に三回引越したいう逸話が孟母三遷だ。もちろん3回引っ越すのは大変なことだ。だが孟子のお母さんがしたことは引っ越したことだけ。

一頃ヤンチャだった若い友人と久しぶりにあった時に「引っ越そうかな」といっていた。彼も「環境を変えないとな」と思っていたようだ。

数えの42才の時に私は修業にいった。そこで同世代の友人ができた。Yさんという。Yさんは自営業で酒に悩んでいた。酒が辞められなかったのだ。そういうひとには酒好きの友達がいる。ましてYさんは自営業だ。Yさんのところに酒好きの友達がおいしい酒とおいしいツマミまでもって遊びに来る。そうするともともと酒好きのYさんはついつい飲んでしまう。

そういうことがあったのでYさんは人間関係を変えるといっていた。私もその頃人間関係を変えた。変えたところもあったし変わったところもあったのだ。

この環境を変えることのキッカケに死ぬほどイヤなヤツがなることもあるのだ。場合によっては病気がキッカケになることもある。

実際今の日本ではそうとう身体が苦しくても仕事をガンバッテいる人たちがいる。思えば私もそうだった。あの状況(それは自分のマインドセットが問題だったのだ)から抜け出すためには「死ぬほどイヤなヤツ」や「緊急入院するくらいの病気」が必要だったようだ。私の場合はだ。

思えば今年は後泊だった。