世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

平成ジャンプの青春ゾンビたちの自己認識

「天の蔵」はあるのかもしれない。私は過去良いこともしたし悪いこともした。まったく何も悪いことをしなかったわけではないという意味だ。これは誰でもそうだろう。

天の蔵というのは(たとえば)私がAさんに何か良いことをしたと考えてみよう。こういう時にAさんから良いことが帰ってくることはない。基本は。だがよくわからないタイミングでAさんとはまったく無関係はひとから帰ってくる(かつてAさんにした良いことが)というようなことがあるという考えだ。少なくとも私はそう捉えている。

そうは言ってもそういうことはないのかなと思っていたのだ。でも最近やっぱりそういうことはあると思うようになった。

ということはあるひとにした悪いことやヒドイことも変なタイミングでそのひととはまったく無関係なひとから帰ってくるということになるのだが。

 

クドカンがドラマでいろんなひとをイジっている。でもずいぶん前からクドカ的な人たちはいろんな人からいろいろいわれているのだ。若い連中からは「平成ジャンプ」といわれているようだ。東京人は「青春ゾンビ」といわれている。

平成以降に生まれた人たちは当然昭和のことは知らない。だから「それオレたちが生まれるまえの話ですよね。オレたちそういうことは知らないしそういう良い思いをしてないんですよね。だいたい今令和だし。昭和でしかないことをいつまでもやっていられてもなあ」ということで「平成ジャンプ=ずっと昭和でしかない人たち」ということらしい。

東京人も「中央線沿線に青春ゾンビたちがいて」とずいぶん前からいっている。嫌いというよりイヤなんだろう。実際ああいうのはイヤだろうな。

 

そしてああいうひとたちは自分たちがずいぶん前からそういわれていることに気がついてないらしい。よくそういうことに気がつかないでいられるものだとも思うのだが。

そうか。ゾンビだからか。なにしろ奴らは青春ゾンビなわけだから。不適切にもほどがあるは観ていないがタイムスリップする話らしい。やっぱり平成ジャンプだ。

ああいう人たちは死ぬまで昭和のままで生きていくしかないんだろう(か)。