世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

平成ジャンプと石原プロと時代の転換点 これから戦前みたいになる

若い人たちで平成ジャンプという言葉があるらしい。この言葉がどの程度流行っているのかは知らない。平成ジャンプというのはアイドルグループのことではない。昭和のままで感覚が止まっている人たちのことだ。私も還暦だし今のことは基本分かないし今の時代にもついていけていない。

池上彰がテレビで大物たちと連続対談を行っている。そのなかに大物芸人がいた。その大物芸人はある政治家がハゲといったからハゲという言葉が許されてよかったというようなことをずっと言っていた。私は「もうそういうのはいいから」と思っていた。

平成ジャンプというのは例えばこういうことだ。昭和にはそういうことが面白かったのだ。事実そうだった。だが今は昭和ではなく令和なのだ。令和にああいう昭和でしかないことをやられても観ていて苦しいだけなのだ。

石原プロというところがあった。石原プロモーションだ。ここは石原軍団という名称で覚えているひとも多いと思う。石原裕次郎が作った会社だ。石原裕次郎は映画スターだ。演者として上がってくる企画を観ても「これは違う」としか思えない状況があったらしい。そして自分で映画をプロデュースするしかないと腹をくくって映画のプロデュースもして主演もするようになった。石原プロはそういうことで成立した会社、あるいは作らざるを得なかった会社だ。

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ある世代の映画スターたちが会社を始めたのは似たような理由があってのことだ。

 

今のテレビは厳しい。一番の理由はテレビが偉くなったからだろう。昔はテレビは偉くなからのだ。

今偉い職種や会社は全部昔は偉くなかった。

たとえば新聞記者や新聞もそうだ。新聞記者は新聞屋でブン屋った。今の日本では就職するのが普通だが昔は外に勤めに行くひとは勤め人といっていて立派だとはみなされなかった。政治家も「政治なんかに入れあげて」といわれていた。

偉くないあるいはバカにされているある仕事ある業種の地位がだんだん上がっていく。するとそういう仕事そういう業種はだんだん調子が悪くなっていく。

こういう風に感じるのは私が年を取っているからだが「芸人になるための学校」に子供が入りたいといった時に親御さんは反対しないのかなと思っていた。またこれは私の差別意識だがミュージシャンになるために専門学校でもそうだ。やっぱり親御さんは反対しないのかなと思っていた。同じ音楽の勉強するのでもこれがクラッシックを勉強する音大だったらそうは思わないからだ。

今時代の大転換が起きている。今学生をやっていてちょっと余裕があるひとなら今は就職しないほうがいい。就職しないでプラプラしていても良いしお金に余裕があれば海外に行ってみてもいいだろう。というのはこの先どうなるのか本当にわからないからだ。いわゆる大企業でも正直この先どうなるのかわからない。

じゃあ昔の日本ではどういうひとが偉かったのかだ。親の後を継いだひとと起業した人だ。親の後を継いだということの意味はそのひとには職業選択の自由がなかったということだ。そういうひとを立派だと昔の日本では考えていた。また起業というのも昔は本当に丁稚奉公があったしそういうところから始めて成功したひとが多かった。そういうことがあって起業して成功したひとは立派だとされていたのだ。

そしてもう日本はそういう風に変わっている。時代は前にしか進まない。だから昔みたいになるといっても昔と同じになるわけではない。似た感じになるだけだ。

たとえば高校だ。戦前からの名門校には○○実業や○○工業という高校がそうとうある。今の日本では「普通科」がいいような感じだ。だがもう高校で専門的なことを勉強したい人たちが(実は)そうとういる。

それは農林水産業もそうだし調理もそうだ。ホテルでやるようなサービスを高校で勉強したい人たちはもうすでにいるのだ。

日本はすでにそういうふうに変わっている。だけどそういう風にすでに変わっていることに多くのひとは気がついていない。