古代文明からシンギュラリティへ--未来を考える
漫画家の葦原妃奈子さんが自殺された。心よりお悔やみ申し上げる。
この事件が意味するものは何か?である。
新條まゆ氏 「もう出版社でお仕事できない…」覚悟の投稿 出版界の闇「小学館が圧力」「中間搾取企業」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
上は漫画家の新條まゆ氏のNOTEの記事をヤフーニュースが取り上げたものだ。
そしてこれは落合陽一のシンギュラリティは2025年にやってくるという話。
前にも書いたのだがいわゆる古代文明(これをドラッカーは農業革命と呼んでいる)が昔起きた。
その後産業革命が起きた。その後情報革命が起きた。情報革命はWW2の前後に起きたのかもしれない。(ここは曖昧だ)
これを就労人口のボリュームゾーンで考えてみる。
狩猟・採取→農業→工場労働者(ブルーカラー)→ホワイトカラー
こういうふうに推移したはずだ。
シンギュラリティをAIが人間より賢くなるポイントだと考えるとイラっとくる。
だがこれをホワイトカラーが就労人口のボリュームゾーンではなくなるポイントだと考えてみる。
私はいわゆるホワイトカラー(スーツを着て働く仕事)をやったことがMないからわからないのがずいぶん前から「このひとたちは何をしているんだろう」という人たちがいたのだ。
そしてあっちこっちで「余計なことをされて腹がたった」という人たちがいる。たとえばテレビ番組のディレクターでそういうふうにいわれていた人たちもいた。そういう仕事は実態としてもう必要なかったのだ。
出版社にも大量のホワイトカラーがいるはずだ。彼らもずいぶん前から実態としては必要がなくなっていた。
こういうことはいわゆメディア関係の仕事だけの話ではない。
すでに多くのホワイトカラーは実態として必要がなくなっていたのだ。
日本全体がこのことを自覚する必要がある。この事件から私達が学ばなければならないことはこのことなのだ。
物語でいうとポルノグラフィティとある種のラブロマンスはAIに書けるはずだ。両方ともに定型的な物語だからだ。
EV車がある。EVがどうなるのか私には不明だ。
今の主流はエンジン車だ。エンジンは構造上小さくするのが難しい。だから一つのエンジンの動力を2つのタイヤなり4つのタイヤに伝えて動かす。
でもEV車はモーターで動かす。モーターは小さくすることができる。だから4つのタイを4つのモーターで動かしても良い。すると4つのタイヤを全部真横にすることができる。そうすると縦列駐車は簡単だ。車が真横に動くからだ。その場で車がクルクル回ることもできる。
たとえば私が誰かにこういう話をする。そうすると「で、どうなるんですか」と聞かれる(だろう)。あるいは「だから何ですか」なのかもしれない。
頭が良い人達の問題的はそういうところだ。
そういう人たちはAIに取って代わられるはずだ。
そういう意味ではシンギュラリティがきてくれて本当に良かった。