上は成田雄輔の炎上にかなする記事の陰陽だ。
私は挫折したとはいえ西洋哲学科、またキリスト教徒ではないが若干聖書の知識もある。
そういう私は民主主義に対しては長年懐疑的だった。西洋哲学の祖ソクラテスは民主主義の正式な手続きをへて死刑になった。ソクラテスの弟子のプラトンが哲人政治という鼻持ちならないことをいっているのはやぱり師匠のソクラテスが民主政の正式な手続きを経て死刑になったということの影響があったはずだ。
そしてイエス様もやはり死刑になったのだがイエス様の死刑の原因は炎上だったと思っている。もちろんこういうことにはいろんな捉え方があるものだが。当時のトップのピラトは民衆の炎上のパワーに逆らえなかったのだろう。
ただ当時とは人権状況は違う。なぜなら成田雄輔は死刑になっていないことがその論拠だ。成田は私が見ていてもうっとうしいことがあるのだ。でもああいうひとが死刑にもならず刑事罰もくらっていないということは人権状況が今は良いのだ。
私は本当に卑俗なひとだと思う。ある時から近所付き合いのトラブルが原因であろう犯罪がある。マンションの場合は管理会社や管理人がうるさいこともあるのだろう。あまりそういう事件の話はきかない。(私が知らないだけかもしれないが)
前に住んでいたところで「〇〇のばあちゃんのゴミ出しがいい加減だった」という話をきいた。近所の床屋のマスターからだ。もうその〇〇のばあはんはいなかったのだが。
こういうことに関する強制力は存在しない。これが民主主義だ。強制力というのはその〇〇のばあちゃんには「ゴミを出す権利を剥奪する」ようなことだ。でも民主主義の場合はそういうことは基本できない。こういう時に町内会長が行くと変にこじれることが多い。高圧的な感じがするらしいのだ。でもボランティアの学生が行くとうまくいったりするのだ。
今はNPOはもう一般的だ。だが私はNPOがこんなに機能するとは思っていなかった。多くのひともそうであったはずだ。
霞が関になると不明だが役所の仕事の多くをNPOにうつしてももうやっていけるはずだ。
話がそれるが橋下徹の「大阪都構想」は面白いと思った。そして考えてみたら政令指定都市と政令指定都市を抱えている府県には問題が多い。
関西でいうと神戸市がそうだ。神戸市はずっと何か事件が起きているのだ。
静岡もそうだ。静岡県知事がリニアモーターカーに関して「どうしたんだろう」と言動を取っているが静岡県も政令指定都市を抱えている。
今政令指定都市については議論されているのだが。
東京でいえば23区以外の東京都。東京都下というのか。ここでもいろいろあっているようだが。
私が住んでいる熊本市も政令指定都市になったのだが今まで県知事が熊本市長よりもずいぶん年上だったのだ。こういうことは意外に大きいことだ。
タワマンは大きな社会実験だと思ってる。タワマンは住人とうのステークホルダー(利害関係者)が多すぎるのだ。あんなにたくさんのステークスホルダーを抱えているとタワマン全体のことに関して全員一致はまずない。だが多数決では不満を持つひとが多すぎるはずだ。多くの人たちは忙しいのでタワマンの住人たちがあるひとに自分の代理人を頼むと考えてみよう。そうするとそういう代理人たちが集まっていろいろ決めることになる。これが議会制民主主義なのだ。
ただ民主主義は良いとか悪い以前に面倒くさいものだとはいっておく。