作家で職を転々とした後に小説を書き始めるひとがいる。JKローリングも似たようなものだ。日本でいうと横溝正史が戦時中に岡山に疎開していて小説を書いている。
前にも書いたが私は浄土真宗の信徒で生長の家の師友だ。生長の家は生まれ変わりがあるという説だが生まれ時にいろんな記憶は全部なくしてうまれてくるという。もちろんそんなことは不明なのだがそういうふうに考えるのだ。そして生長の家の先輩がたは「だからおもしろいんじゃないか」といっていた。私はずっとそうは(だから面白いとは)思えなかった。ただ最近やっぱりそうなのかもしれないと思っている。
それは「やっぱりあの世や前世があって、生まれる時にそういうことは全部忘れて生まれてくるもので、そういうことを全部忘れて生まれてくるからおもしろい」のかもしれないと思いはじめているという意味だ。
「すべてのことに意味がある」といわれてもと思っていた時期もあったが虚無的になるのはつまらないとある時に納得した。納得したというのは納得するくらいに虚無的になっていた時期があったということだ。
「明けない夜はない」といわれてもイライラする時期もあったのだ。そういうことにも意味はあったのだろう。
文豪も名作も敷居が高いものだ。昔読んだっきりでずっと読んでなかった漱石の「坊っちゃん」を養老孟司が100分で名著の特別編で取り上げていた。それで「坊っちゃん」を再読した。
この小説のタイトルだ。「坊っちゃん」。昔だからお女中さんで主人公の育ての親のお清さんが主人公が大人になった後も「坊っちゃん」と呼ぶから坊っちゃん。この小説は実際はお清さんの話だといえるだろう。
余談だが漱石はずっと評価がよくわからない作家だった。江藤淳や柄谷行人が評価をした頃からやっと評価がかたまった作家。探偵小説(当時は推理小説ではなく探偵小説だった)の江戸川乱歩や横溝正史、また松本清張もまだ評価という意味だとよくかからない。また剣豪小説というわくになるので吉川英治も評価という意味だとよくわからない。SF小説の作家たちももちろんそうだ。
主人公は子供の頃二階から飛び降りて怪我をするような子供だった。小説の方でも上司からハメられるのだが(そうはいっても最初から態度が極めて悪い)同僚と組んで上司を殴って「まあイイヤ」と仕事を辞めて(せっかく就職できたのに)平気でかえってくるようなひとだ。それにいろんなひとにあだ名をつける。「ちょっと気取っていて赤いシャツを着ているから赤シャツ」のように。まるである時期の有吉弘行だ。
でもお清さんは「坊っちゃんはまっすぐなご気性で」とか「坊っちゃんみたいな方はいづれ出世されて大きなお屋敷にお住まいになりますよ」という。お清さんは浮世離れしたひとではある。
途中いろいろあっても結果うまくいったひとは周囲にお清さんみたいなひとがいるものなのだ。そういうことを思って泣きそうになった。そして若い頃の私もこんなふうだったのだ。自分ではそう思っていなかったのだが。
ただお清さんみたいなひとは「優しい」のだが「甘くはないな」と最近思った。
女の人は間取りが好きだ。だから今お清さんがいたら主人公がどうにもならないような時でも平気で不動産のパンフレットを持ってきて「坊っちゃんこういうところにお住まいになったら良いのに。10億くらいですよ。大丈夫ですよ。坊っちゃんはいずれ出世されまるから」というようなことをいうはずだ。
こういうひとってわかってないようで(それは浮世離れしているからだが)わかってないわけでもないものだ。