世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 34

このことについて書くのは面倒なのだが書いておく。私の立場(?)を説明したほうがフェアだと思うからだ。私は浄土真宗の信徒で生長の家の師友だ。生長の家は改宗しないタイプの宗教だ。だから私のように浄土真宗の信徒で生長の家の師友ということもあるしほかの宗教の信徒で生長の家の師友ということもあり得る。

生長の家は極右だった。いわゆる右のひとたちは生長の家と聞くと今でも仲間だと思うひとが多い。

ただ生長の家は戦前はリベラルだった。だが戦後は右翼もしくは極右。生長の家は戦前から戦後にかけてあまり変わらなかった。変われなかったともいえる。だが日本の現実は大きく動いていった。そのなかで思想上の妥協もあったり混乱もあった。三代目の総裁が政治路線から離れた。政治との関わりが正直イヤだったんと思っている。そしてどこの宗教でもおそらく一緒だが政治に関心がある人たちは一部だ。今も生長の家の師友で政治に関わっている人たちは明治憲法の復活も目指している。

生長の家政治勢力が(私はそういう人で面識があるひとはいないのだが)憲法改正ではなく明治憲法の復活を目指すことになる理由だ。生長の家が戦前からあまり変わっていないからだ。これは今書いたことではある。

変わったのは日本の方なのだ。

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上は伊丹万作の有名な文章だ。

私は戦後生まれだがどこかずっと戦前を生きていた。このことが重要だったらしい。

日本社会は戦争にまけてコロっと変わったのだ。このことを論点として取られる必要がある。このことに対する答えとして今でも妥当であろう説は岸田秀の理論だ。

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岸田はフロイト派の精神分析者(心理学者)だ。そしてフロイト精神分析の対象を個人としたのだが岸田は精神分析の対象を集団にしている。上は浜崎洋介の岸田理論の説明だ。二回目になるが岸田が精神分析の対象を個人ではなく集団にしているというのが大きなポイントになる。

岸田は黒船来航で日本が開国したことを屈辱経験だと捉えている。(日本人全体の屈辱経験だという意味だ)そして日本人という集団全体が激しい屈辱経験を経て内的自己と外的自己に分裂していると考えている。

屈辱経験については違う例を使うことが多いのだがここではイジメを例にする。イジメられた(イジメられている)時にそういう現実に対応しているのが外的自己だ。この外的自己は冷静に現実に対応しているともいえる。だがどこか一貫して卑屈だ。学校でのイジメを例にして考えてみるとそうせざるを得ないこともあることはわかるひとが多いはずだ。事実屈辱の日々だとしても戦ってもどうにもならない状況だって実際にあるのだ。

そしてこの現実に対応はしている外的自己に対応しているのが内的自己だ。内的自己は(外的自己が一貫して卑屈だから)誇大妄想的なのだ。

まとめて書く。

外的自己・・・・現実に対応はしているが一貫してどこか卑屈

内的自己・・・・現実に対応できていなくて誇大妄想的

戦前の日本は軍国主義だった。そういうイデオロギーだったのだ。そしてアメリカとイギリスは敵だった。(戦争をしていたのだから当然だといえば当然だが)

これが戦争に負けた途端に考えか変わる。

日本は民主主義になってしイギリスやアメリカは良い国(日本が目指すべき国)に変わるのだ。

これを内的自己と外的自己に当てはめてみる。

外的自己・・・民主主義、アメリカイギリスは良い国(目標とすべき国)

内的自己・・・軍国主義アメリカイギリスは敵国

三回目だが岸田は日本人という集団を精神分析の対象にしている。この意味は日本人なら誰もが内的自己と外的自己を持っているということだ。

日本人という集団全員が内的自己と外的自己を持っているということは日本人は誰でも内的自己から外的自己、あるいは外的自己から内的自己にスィッチができるということなのだ。

だから「軍国主義鬼畜米英(こう言っていたのだ)」と思い言いながらも(これは内的自己だ)も「民主主義は良いものでアメリカもイギリスも良い国だ」という考えと気持ちも持っていた(これが外的自己だ)のが日本人なのだ。

だから一夜にして(私は知らないが実際一夜にしてだったようだ)当時の日本人は内的自己から外的自己へとスイッチした。違う言い方をするとスイッチできたのだ。

そして内的自己と外的自己は日本の右翼と左翼(と書くと実際は違うのだがここではわかりやすくこう書く)でもある。

内的自己・・・右翼

外的自己・・・左翼

これは

内的自己・・・誇大妄想史観

外的自己・・・自虐史観

だということもできる。(何が右翼で何が左翼かは別にして)右翼と左翼が討論していてもお互い決してわかりあうことはない。それは内的自己と外的自己との討論だからだ。誇大妄想史観と主張しているひとであっても内心自虐史観を抱えているし。自虐史観を主張しているひとであっても内心誇大妄想史観を抱えているのだから。

 


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話がそれるが上は毎日が夏休みという大島弓子のマンガと金子俊介監督の映画だ。この物語の中で主人公の女子高生は学校でイジメられている。彼女はある日もう学校にはいかないと決める。

昔このまんがを読みこの映画を見た時に「これができればな」と思った。損切りなのだ。損切りというのは今の段階でもう損をしている。これが前提だ。だがこの先ガンバルと(もしかしたら)今までの損を取り返せるかもしれない(がこのままガンバルことでもっと損をしてしまうかもしれない)時に「ここでやめる」と決めることだ。

イジメと損切りというのはおかしいというひともいるだろう。だがすでにイジメられてイヤな思いをしているというのがいわば損だ。だがこのままガンバルことでイジメている連中と和解するかもしれないし今まで苦痛だった学校生活が素敵な学校生活に変わるかもしれない。この「かもしれない」というのがワナといえばワナだ。

損切りは誰にとっても難しいものなのだ。これは私の経験上だがイジメられていて損切りできなくて深みにはまることがある。

そして「みんなオレのこと嫌いだよね。オレもみんなことが嫌い。だからそういうことで良いんじゃない」と思ったこともあった「向こうが私を嫌ってイジメていたんだからこっちが向こうを好きになる必要もないか」と思っただけだが。これも損切りだ。私はすでに向こうから嫌われて(あるいはバカにされて)イジメられていたのだ。こういうふうに決めるともう損を取り返す可能性がなくなってしまう。ここでいう損を取り返すというのは和解するようなことだ。私はみずから和解の可能性を閉じた。

でもこういう風な態度が向こうにはなんともいえなかかったようだ。イジメていた連中が変に関わってくるようになった。私はそういう風にされると余計に腹がたった。「あんたたちはオレのこと嫌いでしょ。だからオレもアンタたちのことは嫌いなんだよ。だがら関わってほしくないんだよね。それだけなんだけだ。そもそもを嫌ったのはそっちでしょ。なんで関わってくるかな」ということなのだ。

職場でもここでいう損切りができなくて深みにハマっていくひともいる。

ポジティブシンキングで「暗いところを見ないで明るいところを見る」という。今の話だとイジメられている学校が暗いところだが「毎日は夏休み」のように学校以外の世界だってあるものなのだ。

だがある状況では「そこ以外の世界がある」ということが見えなくなることもよくあることだ。学生だったら教室以外の世界が見えなくなることもある。

仕事でいうと「いままで会社のために頑張ってきたが報われなかった(のだがこの先ガンバレば報われるかもしれない)時に「もうこの会社はやめよう」と思うのが損切りにあたる。だがこれもやはり難しいものだ。

「毎日は夏休み」の主人公はある朝学校の門の前までは行く。そして「さようならイジワルな人たち」と学校に向かって頭を下げる。それで公園に遊びに行く。私は「これができたらな」と思ったのだ。実際「毎日が夏休み」の物語と同様に暗いところ以外には素敵な世界はいくらでもあるものだから。そしてそういうことはなかなかわからないものだから。

私は今の日本のある場所(?)はタイタニックだと思っている。そこがタイタニックなのだとすればタイタニックでガンバルのではなく逃げる必要がある。だが今までタイタニックでガンバッてきた人たちに損切りをして逃げろというのは酷だといえば酷なことだ。だがそうであってもそこがタイタニックなのだとしたらそこから逃げるべきなのだ。

 

話を戻す。昔お笑いコンビが深夜放送のパーソナリティをやっていた。当時イジメが問題になっていた。コンビの片方が「オレの頃もそういうことはありはしたんだけれども今みたいに陰惨なモノではなかった」と言っていた。だが彼が話した内容は陰惨なモノだった。その時にはどうすることもできないから屈辱に甘んじるしかないこともある。だがその彼は過去の屈辱経験を受け入れられていなかった。屈辱経験というと感情が問題のようだ。だが問題(論点)なのはむしろ認識だ。認識認知が歪んでしまうのだ。実際陰惨なことを陰惨ではないと彼は認識していた。

私自身のことでいうとずいぶん前にマジメな話をあるひとにした。その時そのひとは私のを誤解(?)して否定したのだ。私はひどくガッカリした。「また話が通じなかった」と思った。この時の感情は「ひどくガッカリした」なのだが認識は「また話が通じなかった」だ。「ひどくガッカリした」にフォーカスするとよくわからなくなる。それは「また話が通じなかった」という認識の重要性が見えなくなるからだ。私のように「また話が通じない」ということで「ひどくガッカリした」ということを繰り返している場合には問題(論点)にする必要があるのは「ひどくガッカリした」という感情の方ではなく「また話が通じなかった」という認識の方なのだ。

「また話が通じなかった」というのも屈辱経験だ。そしてこういう経験があると(屈辱経験の受容ができないでいると)「また話が通じなかった」という現象(?)を繰り返してしまう。「話が通じない」という認識に基づいた行動を取るからだ。そして「ひどくガッカリする」のだ。だから「話が通じるものだ」というふうに認識を変えることが必要になる。

こういうふうには書いているが私には明確な処方箋はない。少なくとも「こうすれば良い」というふうにはいえない。そのひとの状況によって具体的な処方箋は千変万化するはずだ。

 

そういえば昨日久しぶりに嘔吐した。それでまた心と身体の構成(?)が変わった。気がついたら腹に力が入ってきた。ずっと腹に力が入らなかったのだ。

あるひとと出会ったいかどうでそのひとの運命は大きく変わる。こればっかりは選べないことだと思う。私の同世代の友人にEさんというひとがいる。Eさんは40代にボロボロになった。50代の私とまったく同じだった。髪の毛はヌケてしまいひどく痩せてしまった。嘔吐や排泄で大変だった。妄想がはっきりでていた。私は当時Eさんが羨ましかった。私はまだボロボロになる余裕がなかったのだ。Eさんはおそらく回復したはずだ。もうヒトリ同世代の友人がいてKさんというがKもおそらく私同様ボロボロになったはずだ。どうやら私達は全員いったんボロボロになる必要があったのだ。そしてその時期を経て回復するような人たちだった。

いまから思うとよくこういうひとに出会ったものだと思う。こういうことは自分の意思ではどうにもならないことであるはずだ。こういうことは「運」だとしかいえないはずだ。