世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

今精神疾患が快復しているところだ

熊本の繫華街は長年アーケード街だったがどうやら駅前に移るようだ。今私は長く苦しんだ精神疾患から回復中だ。回復期にジストニアがひどくなった。首や腰がひきつって動けなくなって病院に担ぎ込まれたこともあった。ジストニアというと一般的ではないと思うが筋肉が引きつってしまうのだ。今から思うと過去の怒りや恐れ、寂しさを受け入れていた。怒っていたり怖がっている時には身体が緊張する。つまり引きつる。リラックスしていれば弛緩する。つまり緩む。あんなにジストニアがひどくなったのは(自覚はなかったが)身体が緊張していたからだ。そしてひどいヘビースモーカーになっていた。前からタバコは吸っていたがある時期一人でいる時はとにかくタバコを吸わないとやってられない状態になった。でも最近は落ち着いている。恐れや怒り、寂しさをタバコで紛らせていたようだ。

世間も今大はばに変わっている。サービス業はスタッフ不足だ。あっちもこっちもひとがいない。時給1000円でもひとが来ない。長年サービス業をバカにしてきたことのツケが回ってきた。マクドナルドのスマイル0円というのが昔から嫌いだった。世の中にタダのものなんかないからだ。

さっき下通というアーケード街を歩いていてフッと普通に見えていることに気がついた。「歩く」ということには何か意味があるようだ。作家の橋本治がある時とても長く歩いたのだそうだ。そして「これは認知症の徘徊ってこういうことなんだ」と思っている。認知症になって徘徊されると周囲は困る。だけど徘徊するのはひたすら歩くことに意味があるからだと思う。確かに周囲は大変だが歩くことが快復に役立つと身体が感じるから歩いていまっている可能性がある。しかもそれは身体の反応だから自分がなぜそんなに歩くのか本人には理解不能だ。

なんども書いたがポジティブシンキングでは風邪を引くことには良い意味があると考える。風邪を引いて熱が出ることにも節々が痛くなることにも場合によっては寝こんで動けなくなること(こういうことは全部ツライことだ)に良い意味があるというのだ。

私は浄土真宗の信徒で生長の家の師友だが生長の家では「これは地獄だ」と思ったとしてもその現実をなんとか受容することを目標とする。そしてそれが昔の私にはできていたようだ。事実現実がひどかった。

昔大学を中退した。このことが私には本当に悔いだったのだ。でも今から思うと身体が大学を拒絶していた。精神疾患も本当に長年つらかったし歯がゆかった。でも私の場合はだが、病気がブレーキになってくれていた。病気がなかったらある方向につっぱしっていたはずだ。そうしていたら私は破滅していた。あるい過労死していた。でも事実病んしまった。すると自分でいくら頑張ろうと思っても事実できない。実際できなくなってしまう。そうなることで私は助かっていた。

ただ精神を病んでいてもみんなが私たちみたいに頑張っているわけではない。当然「ん?」というひともいる。

世間でバリバリやっている風の人たちにも「ん?」という人たちはずいぶんいるから精神疾患かどうかが問題ではない。

ただ私は事実頑張ってきた。楽しくやっている人たちがずいぶんいて本当にうらやましかった。それは病気かどうかに関わらずだ。病人仲間でも頑張ってきた人たちはごく一部いる。世間でもそうだろう。

成功哲学系のひとにアラン・ピーズがいる。「話を聞かない男地図を読めない女」は日本でもヒットした。こういうことは話が変わっていくがこのひとはRASといっている。脳幹網様体賦活系のことらしい。脳科学なのだがこういうことが当たっているのかどうかは不明だ。私は脳科学は専門外だからだ

一般的にはある結果を出したいと思っても今の状況とその状況からのプロセスを考えると多くのことは実現不可能だと思える。でもアランピーズ明確な視覚イメージを持つと今の現実やそこから良い状況に行く道筋(プロセス)は考える必要がないという。理由は「自覚なく自分が頑張るから」だ。

これはあることのような気がする。ただそれが脳幹網様体賦活系の働きなのかどうかは不明だ。他にも引き寄せの法則もあるしそういう本もいろいろ読んだ。

話を戻すが私が生長の家に触れたのは病気もあって他にもいろいろ不幸があったからだ。今問題になっている旧統一教会のビデオも見たが(やっぱりあれは統一教会だったようだ)「面倒くさいヤツ」だと思われたらしく家の電話番号も名前も住所も教えていたのに連絡が来なかった。ああいうところに行くひとは良いひとかもしれないが面倒臭くない連中だ。

私は自分で自分の面倒臭さやイヤになるくらいだったが面倒臭いひとであることも自分を助けてくれていたようだ。

だから何度も書いているが何がよくて何が悪いことなのかはその時にはわからないものなのだ。ただやっと病気が快復してくれてホントに嬉しい。もうちょっとだ。