世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

ゼロサムゲームと社会変化

日本社会に起きている(世界に起きている)変化の意味の一つは「ゼロサムゲーム社会にシフトしたのかどうか」だ。

ゼロサムゲームというのは足したらゼロになるゲームだ。参加者が何人いても参加者全員の損得が足したらゼロになるのがゼロサムゲーム。ゼロサムゲームだったら誰かが得をしたら誰かが損をする。

これは高成長社会から低成長社会へのシフト、あるいは恒常性社会へのシフトだといえる。

だがこれが私には不明だ。「日本が(世界が?)高成長社会から低成長社会(恒常性社会)にシフトしたのかどうか」がだ。だから当然このことを問題にする必要がある。

経済でパイをタトエにつかうこが多い。パイの取り分は小さくてもパイ自体が大きくなるのならパイの取り分よりも(パイの取り分が小さいままでも)パイ自体が大きくなればいい。

これを数字で表すとある時のパイが100だとする。100のバイのウチの5分のイチが自分の取り分だとする。この5分のイチはかわらないとしても100のパイが200になるのなら同じ5分のイチでも25から50になる。

ある時代の日本は高成長社会だった。事実としてそうだった。だから私の投票行動も基本自民でたまに社会党。「ちょっと今回の件ひどかったと思んで考えて欲しい」と思うと社会党に入れていたが別に社会党政権の樹立は望んでいなかった。素人考えでも「日本全体のパイを大きくするのは自民党(とキャリア官僚)だと思って(信じて)いたから。

しつこいが日本は(世界は)高成長時代から低成長時代(恒常性時代)にシフトしたのか不明だ。だがもし日本が高成長時代から低成長時代に(恒常性時代)にシフトしたのなら私の投票行動は変わってくる。もちろん日本の政治のあり方も変わってくる。