世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

メロドラマ監督の新たな時代

 WW2(太平洋戦争、大東和戦争、戦争の名称を明確にしてほしいのだが)が終わったのが1945年だ。50年代までは戦後の闇市みたいな時代、次の1960年代は糖度経済成長、まだ貧しいのだが夢があった時代、次の1970年代はオイルショックがあって暗い時代、そして1980年代から今に至るまでがバブルの時代。

もちろんこんな簡単な話ではない。だがここでは戦後を4つの時代にわけてみた。

 

最後の1980年から今に至るまでが同じ時代だという考えには否定的なひとが多いはずだ。バブル崩壊もあったし就職氷河期もあったし、ほかにもいろいろなことがあったからだ。それは事実そうだ。

だが1980年以降の日本は同じメンツでやっている。ポップミュージックの世界もそうだし小説の世界もそうだ。お笑いの世界も同様だ。ほかの世界もおそらくそうだ。

 

ビートたけしタモリ明石家さんま所ジョージ笑福亭鶴瓶。こういう人たちも基本1980年以降にブレイクした人たちだ。

ポップミュージックの世界でもサザンオールスターズ松任谷由実山下達郎。こういう人たちも基本1980年以降にブレイクしている。

小説の世界でも1980年以降に出現した作家たちは今も人気だ。村上春樹がそうだ。私は村上春樹よりも村上春樹ファンの言動が恥ずかしいという理由で村上春樹についてはあまり関わりたくない。

 

そして1990年代に入る時に過去にあったような時代の変化があるのではないかと考えていた人たちがいた。広告業界がそうだった。

たとえば浅野ゆう子を使ったCMで「90年代を感じた」というものがあった。でも90年代に入っても過去にあったよう大きな時代の変化はなかった。

 

実際戦後の闇市みたいな時代(1950年代まで)に活躍していた人たちの多くは1960年代にはいると時代と合わなくなった。

1960年代に活躍したひとの多くも1970年代に活躍した人たちの多くは1970年代に入ると時代に合わなくなった。

1970年代に活躍した人たちの多くも1980年代に入ると時代と合わなくなったのだ。

でも1980年以降は日本においてこういうことは起きていない。

 

芸能界も小説の世界も他の世界も同じメンツでやっている。そしてそれはやはり1980年以降は基本同じ時代だったからだと考えるのが筋だ。

でもここで(2024年)で大きく変わり始めている。

ファッションもそうだ。同世代の男性がお子さんが修学旅行に行く時に寒いからダウンジャケットを着ていけばいいと言ったのだが息子さんは嫌がった。ダウンジャケットは1980年以降の流行りなのだ。

 


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これもこんなに簡単な話ではないのだがここではこう書く。1980年代以降は「パロディの時代」だった。

うっせぇわで「パロディのパロディはもういいです」とある。そして(これはおかしな言い方だが)ゴジラー1.0はパロディのオリジナル(?)になるのが筋の仕事なのだ。

パロディのオリジナルという言い方はおかしいのだが「ゴジラ−1.0」のような仕事をパロディにするのが本来の姿だ。だが1980年代以降の世界ではパロディのオリジナルを作ることよりも(ゴジラー1.0のような)パロディを作ることの方が意味があった。


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ただ山崎貴の「ALWAYS三丁目の夕日」を見た時に私は「面白いんだけどこれはメロドラマだから・・」と思ったのだ。山崎貴監督はメロドラマの作り手なのだ。だから山崎監督の映画は基本通俗的だ。ただメロドラマであっても当然質(クロリティ)にはいろいろある。メロドラマを成立させるためには技術や知識や経験が必要になる。ただメロドラマはメロドラマである以上「ベタ」なものではあるのだ。

でもそういう質の高いベタ(山崎貴の場合はメロドラマ)をパロディにするのが本来の筋だ。1980年以降の日本ではパロディを作ることやそういう人が重視されていた。だからうっせえわにあるように「パロディのパロディを作る」しかない状況が生まれた。

そして今時代がまた変わっている。ただもちろん時代が変わったらなにもかもよくなるわけではない。これは重要なことだ。