世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

LGBTとフロイトの視点から見る古代ギリシャの道徳

首はまだ痛いのだがだいぶ回復した。今LGBTが話題になっている。このことについてはフロイトの考えが重要だ。エディプス・コンプレックス

エディプスの物語をざっくり書いてみる。エディプスの父親、実はこのひとが問題なのだ。エディプスの父親があるところで若い男性に手をだす。当時のギリシャでは同性愛はそんなにおかしなことではなかったようだ。だがその若い男性が嫌がったのでエディプスの父親はその若い男性を殺してしまう。レイプと殺人になるのか?それでその男性の父親が怒って「お前みたいなモンが子供を作ったらその子はお前の女房とできてお前を殺すぞ」と言ったのだ。お父さんのお怒りはごもっともだ。

でもエディプスの父親は子供を作ってしまう。その子がエディプスなのだ。

だからエディプスの物語で重要なのはエディプスよりもエディプスの父親だし、こういう父親がいるような時代状況社会状況なのだ。

著名なクリエーターやパフォーマーにはゲイが多い。だが実際はゲイというよりエディプス・コンプレックスがあるひとが多いのかもしれない。フロイトは去勢といっているのだが。

こういうことを書くと自分の恥をさらすことになるのだが私はEDに近かった。露骨な話だが射精はするのだが性愛のスイッチが入らなかったのだ。いやらしいスケベな気持ちにならないというか。今でいうとカズレーサーバイセクシャルでEDだったといっている。彼も有能だ。

最近亡くなった谷村新司は大量のポルノグラフィティを持っていた時期がある。ああいうふうにするひとって私同様性愛のスイッチがはいらなくなっていることがあるのだ。谷村新司もやはり有能だった。

アメリカでいうとエルビスとマービンゲイがEDかEDに近かったはずだ。ウォルト・ディズニーもおそらくそうだったはずだ。

彼らはおそらくゲイではない。だがエディプス・コンプレックスを抱えていたはずだしそういう人たちが事実有能だ。

話がそれるがゲイかどうかは別にしてトップが子供を作らないことには組織に取っては良い意味がある。血縁でトップを交代していった場合何代もつつけて優秀なトップが出るのが難しいのだ。だが親子の場合は情があるから我が子に後をつがせたいと思うものだから。

 

ユングエレクトラ・コンプレックスといっている。エディプス・コンプレックスを息子の母親に対する気持ちのように取ることが多いのでエレクトラ・コンプレックスは娘の父親に対する気持ち(独占欲?)のように取ることもある。

だがエレクトラの物語から考えるとエレクトラ・コンプレックスはそういうことではない。エレクトラには弟がいる。象徴的なセリフがある。「私はあなたの三人目の母親」。こういうセリフだ。

ここにはちょっと補足が必要だ。人類史の中で子供を生んだ女性が子育てをするものでは必ずしもなかった。そういうことが可能なのはそうとう良い衛生状況や医療状況があっての話だ。普通に考えて出産食後から育児に入るのはお母さんにも子供のもあまりにもリスキーなことだ。つまり生命にかかわる。

だから「産みの親」とは別に「育ての親」がいることはそんなにめずらしいことではなかったはずだ。そして「育ての親」のもとで生まれたとき(物心つく前から)育っていたら「育ての親」が「お父さんとお母さん」になるのもそんなにおかしなことではない。


www.youtube.com

日本で有名なエレクトラ北条政子だ。政子の場合は姉が有名だが弟の方が有名なこともある。代表は坂本龍馬文人でいうと夏目漱石タモリが前に「口が立つお姉さんがいた」といっていた気がする。だとすればタモリエレクトラの弟だ。

私にも美人で口が立つ女性のイトコがいる。長くあっていないが。そのイトコが思春期に攻撃的になってひどくオタオタしたのを覚えている。

 

話がどんどんそれているが東アジアが古代ギリシャみたいに動く可能性もある。そうだとすると東北には可能性がある。

京都(というか上方)は日本の本家だ。鎌倉や江戸、東京は分家というより新家。歴史上でも地域社会でも新家の方が栄えることはある。古代ギリシャでいうとどうもスパルタが本家だ。そしてアテネアテナイ)が新家。

アレキサンダーバルバラだ。(バルバラだったと思うがここはちょっと曖昧だ)バルバラは英語のバーバリアンの語源だと思う。バーバリアンは野蛮人。バーバーリーのスーツもそうなのか?スパルタやアテナイのひとがバカにしてこう呼んでいた。「奴らは訛りすぎていて何をいっているかわからない。バルバラとしか聞こえない」と。

方言萌えが西ばっかりだ。大阪広島博多のように。そして同じような田舎なのに九州や北海道はどこか威張っている。

古代ギリシャはポリスという都市が集まっていた存在ではあったのだが地中海周辺の国でもあった。日本でいうと日本海のような。

アレクサンダーの世界帝国への野望(というか情熱)はご自身がバルバラであったことにお起きな原因があったと思うのだ。あのひとがスパルタやアテナイのひとだったらあんな情熱を持つことはなかったはずだ。