世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 23

50代の約10年は苦しくもあったし大変でもあった。

統合失調症は考え方によっては「フィクションを現実だと思い、現実を現実だと認識できなくなる病気」だ。私は子供の頃から大変だった。それは現実がだ。そういう過酷な現実に対する反応としては統合失調症になったのは健康な反応だったとも言える。

精神疾患で急性期という。私も何度か急性期を経験している。その時のことは今思い出しても現実だったのか夢だったの妄想だったのかよくわからない。でもあまりに過酷な状況になった時にはそうなった方が安全なの事実だ。そう考えると現実なのか夢なのか妄想なのわからない状況になることは異常なことではある。それは事実だ。だが反応としては健全だとも言える。

ここ10年いろんな意味で大変だったしココロも身体も環境もボロボロになった。だけど私は子供の頃からは規定値として「自分はダメ人間だ」と思っていたし「言ったって話は通じない」とか「イヤなことが急に起きるものだ」と思っていた。こういう既定値が変わっていたようだ。

こういう既定値が変わるとその時のいろんなことも過去のいろんなことも腹が立ってしょうがなくなる。最近になってそういうことがちょっと落ち着いてきた。考えてみたらこういうことが50代で起きたこともありがたかった。30代や40代にそういうことが起きていたら私は犯罪者になっていた。怒りの抑制が効かなくなっていたからだ。そして60代以降にこうなっていたら体力的に厳しかった。だから苦しくはあったのだが50代にそういうことが起きてくれたのは本当にありがたかった。

また50才前後に両親が他界した。その前にはできる範囲ではあるが介護をやっていた。両親が他界した後に「自分は年を取って疲れただけで何も残らなかったt」思った。でも私には子供がいない。去年くらいから「自分は勝ってに大人になったくらい思っていたんだけどそうじゃなかったんだ」と納得するものがあった。

実際思春期nなるともう母親や家族よりも友達が大事になっていた。そうなるのは健全なことではある。だが育ててもらってありがたいなどとはまったく思っていなかったのだ。

 

こういうふうにいろいろ考えていくと落ち着くところに落ち着いたんだとおメルし起こるべきことが起きただとも思える。

 

そして今はそうとう自己像セルフイメージgあがっている。世界観もよくなているはずだ。これは事実の問題ではなく認識の問題だ。こういうふうになって奔走によかった。