世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

べき思考からの脱出

べき思考というのは「まるまるすべきだ」という思考だ。当然べき思考が悪いわけではない。世の中にはやるべきことがあるかららだ。そして「〇〇すべきだ」という思考と「〇〇したい」という思考が本人の中でぶつかる。これも必ずしも悪いことではない。誰もがこういう矛盾葛藤を抱え込むものだしこういう矛盾葛藤を抱え込まないほうがむしろ不自然なことだからだ。

今べき思考が論点化しているのはこの「〇〇すべきだ」ということと「○○したい」という本人の中での矛盾葛藤が誰もひどく大きく強くなっているからだ。

また「べき思考」があまりに強くなってしまうと「○○したい」という普通の普通の発想気持ちを見失ってしまうからだ。

ただ昔からお母さんがたは「べき思考」になっていたはずだ。ウチのオフクロもそうだったし母親稼業というのはべき思考にならないとできないものでもある。こういうことは年齢や状況でべき思考に陥ることもあるしある年齢状況で離れていくものだと思う。

反抗期の子供(特に男の子)が「ババア」と母親のことをののしることがある。「の苦しないで部屋に入ってくんな」というようなことだ。いわゆる反抗期だ。だこういう反抗期を通じてお母さんがたが子供から離れていくこともある。こういうことがなかったらずっと子供の世話を焼き続けてしまうこともあるのだ。そしてそういう風になっている親子を私は何組も知っている。

また私の場合は両親(特に母親)の介護だった。両親が他界して本当に落ちていた。「疲れて年を取っただけだった。そして自分には何も残らかった」と思って怒ってもいた。でも私の介護が十分だったのは今も思えていないが両親の死が事実あって私は両親の介護を終えたのだ。そういうことは悲しいという言葉では済まないことだ。だがそういうことがあって私は次のステージに進まざるを得なくなったのだ。

ここのところネカフェに入りびったてマンガを読んだりアニメを見たりしている。単にわがままにしているだけだ。でもこういうことが長年できなかった。これは物理的にできなかったわけではない。物理的具体的には結構前からできたのだ。でも「べき思考」に陥っていて事実現実的具体的にはできたのだがこういうことをするきにならなかったのだ。

わざとそうしたわけではもちろんないのだが両親が他界した後私は2回緊急入院している。ボロボロになったからだ。だが一回目の入院の時にヒマなのがつらかった。ご飯は出てくるしお風呂も沸かしてくれるし掃除もしてもらえる。テレビはあるし本も持ち込んでいたしケータイもあった。でもヒマでヒマで、それが苦しかったのだ。ただああいうことがあってスローダウンできた。当時そういうことに意味があるとはまったく思っていなかったがああいうことが私には重要だったのだ。

そして最近はネカフェに入り浸っている。やらなきゃいけないことは今もあるのだ。でもそういうことをしないでマンガを読みふけってアニメを見倒している。当然自慢できるような状態ではない。でもたぶん今の私にはこういうことが必要なことだったようだ。別に意図してこうしていたわけではないのだが。

ひとによってはもっとスムーズに変わっていけるひともいるのだろうが私はそうではなかったようだ。