世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

負のディール(取引) 現代日本の問題点

私は最近「いろんなひとに助けてもらっていたんだ」と気がついた。そして「イヤなことも多かったけれども良いことも多かったんだ」とも思えている。でもイヤことしか見えなくて悪いことだけを勘定していた時期があった。

私は還暦だが50代はずっと更年期だった。怒りの抑制が効かなくなっていたのだ。そうなってしまうと腹が立つことばかりになってしまう。ただそういうことがあっていけなくなった場所もあったし縁が切れてしまったひともいた。

でも今思うとそういう場所やひとは離れたほうがいい場所でひとだったのだ。私の場合は更年期でそうなっていたが普通はそういう状況を腐っているという。若い時にはぶーられて腐っていた時期がなかったから年を取ってそういう時期があったのかもしれない。

そして最近になって当然なのだが「やっぱり良いこともたくさんあった」ということが見えてきた。

世間で注意された時に注意をしたひとに暴力をふるったヤツの事件が何度かあった。腐っている時には「負のディール(取引)」をしていまう。悪いことイヤなことしか見えなくなるからだ。そして私にもそういう時期があった。

自分が悪いことをしていたとしても注意をされたことで自分がイヤな思いをした。そのイヤな思いは負だ。マイナス。この負、マイナスを相手に返す。だから注意した相手に暴力を振るう。私がいう「負のディール(取引)」というのはこういうことだ。

人間は誰しも論理的な存在だ。悪いことイヤなことしか見えなくなってしまった場合にはこういう論理で動いてしまう。でもいいことや楽しいこと嬉しいことが見えてくると「負のディール(取引)」はツジツマがあわなくなるから「負のディール(取引)」から解放される。

 

前にフジテレビのザ・ノンフィクションを見ていた。若いひとが料理店に就職したのに「辞める」と言い出すエピソードがあった。彼はマジメなひとだ。だが負のディール(取引)をしていた。

彼はまだ調理場で役に立っていない。なのに給料をもらい、いい条件で住まわせてもらっている。だから彼の中で帳尻があっていないのだ。

その彼は極めてマジメなひとだ。なのに彼は「負のディール(取引)」をやっていた。

 

若いひとで先輩とごはんを食べたり酒を飲んだりすることを嫌がるひとがいる。そういう人たちにも「負のディール(取引)」をやっている人たちがいる。先輩とごはんを耐えると本来楽しいこともある。でも彼らにはそれが見えない。あるいはそういうことは勘定にいれていない。「気を使う」ことや「疲れること」だけが見えているしそういうことだけを勘定に入れている。だからそういうことを嫌がるのだ。

でも確かに一人で部屋にいれば気楽ではある。だがその状況に得点をつけると0点だ。でも「負のディール(取引)」をやっているとすれば勘定にいれるのは負、マイナスだけになる。だから「負のディール(取引)」をやっている場合は最高得点は0点にしかならないのだ。

負のディール(取引)に陥った場合は最高得点は0点だ。

これは今の日本の問題点だ。

前に元県庁職員と話していた時に彼は「役所は減点主義だから」と言っていた。減点主義というのは良いことよかったことはカウントしない勘定にいれないで、悪いことミス失敗だけをカウントする勘定に入れることだ。

減点主義も負のディール(取引)だ。減点主義でも最高得点は0点だ。

そうだとすると何もしないことがベストなのだ。

最高得点は0点なのだから。

これが今の日本の問題点だ。