世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 24

すべて敬称略です。

 

なぜどうやって自分が回復したということはいえない。自分でもわかりない。ただ時代の転換点に回復しているのは事実だ。

私が①弁好きな芸人は島田紳助だった。シンスケさんが80年代に当時の若者のドキュメンタリー番組の司会をやっていた。シンスケさんと飯星景子ケント・デリカットの3人が司会だった。苦学して頑張っている大学生と豊かな環境で楽しく大声楽セイカツを送っている大学生が対比的に扱う回があった。VTRを見た後シンスケさんが「結局豊かで楽しい大学セイカツを送っている彼の方が将来的に良いんだ」といった。「いろんな人脈もできるわけだし」と。ケントデリカットが「そんなのはおかしい」といった。シンスケさんと飯星景子が「おかしいのがおかしいんだ」と言っていた。

私も80年代に良い思いをしなかったグループだ。私みたいなひとが与党の政治家になっていることがある。そういうひとが「あのひと苦労人のくせに」といわれている。意味は「自分もいろんな意味で苦しい思いをしたのにどうして弱いひとを踏みつけにするようなことをするんだ」ということだ。

ただ80年代に苦しい思いをした人たちの怨嗟は想像できないくらい大きい。

ああいうひとはもしかしたら「砂の器」なのかもしれない。

 

ここ数年で大きく時代が変わった。コロナ禍ではひどく重苦しい思いをみんなしたはずだ。あの当たりで大きく時代が変わった。

 

今は漫画家が自殺された話題でネットが燃えている。亡くなった漫画家にはココロよりお悔やみ申し上げる。また松本人志の件(私はこの件の事情を知らないのだが)も話題になっている。こういうことで大きく力関係が変わると思っている。

考えてみると80年代以前に活躍していた人たちが芸能界で復活している。笑福亭鶴光せんだみつお西川のりおもそうかもしれない。こういう人たちは80年代以降の時代にはあわなかったのだろう。

 

私は力関係と書いた。さっき書いた苦学していた大学生と豊かで楽しい大学生活をおくっていた大学生の力関係もここで変わるんだと思っている。

「アリとキリギリス」の童話でいえばわたしたちはアリの方だった。とはいえ好きでアリみたいに努力して来たわけではない。そういうふうにせざるをえなかったからそうしていただけだ。だがそうはいっても私達は何十年も努力をしてきている。何十年も努力してきたのだから結果が出るのは当然だ。努力しないで結果がでるはずがないではないか。

 

 

人間は論理的な存在だ。幸せになるためには幸せになるための理屈が必要になる。私はそうやら幸せになるようだ。