世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 18

50代全体が更年期だった。怒りの抑制が効かなくなって苦しかった。変な話だが自分の運命が変わる時には「①風邪を引く(体調不良を起こす)②歯が悪くなる」。こういうことが起きる。

さっきまで23時間また腹が経って腹が経ってしょうがなかった。それで「結局また怒っている」と思っていた。更年期だから怒るのは当然だ。私は昔から「自分はダメ人間だ」と思っていたし世界観も悪かった。

ちょっと世界観について書いておく。「自分が頑張って結果を出してもどうせ結局うまくいかない」と思っていた。これが単に世界観(事実ではなく認識の問題)なのかどうかはよくわからない。それは例えばあること(自分には不正がなく向こうが大方悪いようなこと)があったとして、それを私が訴えたとしてもそれでそういうことが通りのかどうかよくわからなかったという意味だ。

世間のことについては言及しないがあることで事実向こうが悪いとしても被害者でしかないひとが苦しむことがよくあるから(あったから)だ。

でもこのことについての風向きが変わっている。あまり具体的には書かないが。

話を戻す。私は子供の頃から自分はダメ人間だと思っていた。そして自分の気持ちはわかってもらえないと思っていた。これは生育環境の中では事実そうだった。こういうことに関する認識が変わってきた。すると腹が立つのは当然だ。「自分はダメ人間だ」と思っていると当然のことが「イヤ自分はダメ人間なんかじゃじゃない」と思うと腹が立つことになる。当然そうだ。

さっき怒っていたのはちょっと前にヒドい侮辱を受けたのだ。そのことについて怒っていた。ひどい侮辱を受ければ怒るのは当然のことだが怒らなかったのだ。もちろんそういう怒りを言動にするかどうかは別問題だ。怒りの感情を言動にする以前の問題で私は怒っていなかった。でも数時間前に怒りに火がついて怒っていた。こういうことで誰かに怒りをぶつけていてばそれは八つ当たりだ。でも一人で勝手に怒っていただけで済んだから良かったし八つ当たりではなかったのだが。

アンガーマネージメントを勉強している人たちがいる。アンガーマネージメントというのも不思議なものだ。「怒るべきことに普通に怒る」ということを勉強するのがアンガーマネージメントだからだ。でも「怒るべきことに普通に怒る」ことはわざわざ勉強する必要があることになっているからだ。そしてそういう人たちが必ずしも精神を病んでいるわけではないのだ。なぜ彼らはわざわざ「怒るべきことに普通に怒る」ことを勉強しているのだろうか。これは私にはわからない。

話を戻すがここのところ体調が悪かった。そしてさっき気がついたら口の中がおかしかった。歯がこぼれたのだ。

因果関係は不明だが今の私は案の定①と②がおきている。

 

50代の更年期で怒りの抑制が効かなくなって会えなくなったひともいるし行けなくなった場所もあるのだが、そういうひととはもっと早く縁を切ったほうがよかったひとだったし私が行けなくなった場所はもっと前に近づくのをやめた方がよかった場所だった。仕事もやめたのだが。そういう職場は正直もっと早くやめたほうが良い職場だった。でも友人知人でも長いお付き合いだと縁を切るというのは大変なことだ。そして仕事をやめるのもまた大変なことだ。だから簡単にはできない。でも私は更年期で怒りの抑制が効かなくなっていたからこっちから縁を切らざるを得なくなった。そういうことが結果よかったのだ。ちょっと前にバイブスという言葉が流行った。バイブスは波動だ。私の波動が変わっていた。すると離れるしかなくなってしまう。そういうことだったんだと思う。

更年期自体はつらかったがそういうことがあったわけだから更年期に怒りの抑制が効かなくなったおかげで私の環境が大きく変わった。まだまだ大変だが。でもあのまあ年を取って死んで行くよりはずっとよかった。