世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 21

いつからかハッキリ覚えてないが雲が晴れて来た感覚があった。

これは斉藤一人さんも言っているが生育環境の中でいろいろあったことで傷ついたことも事実なのだろうがそれよりもそういうことからある自己像や世界観を持ってしまったことも方がむしろ問題だと思う。

私自身知らない間に「自分はダメ人間だ」と思って(考えて感じて)いたし「世間は冷たいものだ(怖いものだ)」とも思って(考えて感じて)いた。信じていたというべきかもしれない。

具体的じそういわれたわけではなくてもコッチが(いわば勝手に)そういうメッセージを読解していたのだ。でも「自分はダメ人間じゃない」と50才くらいの時から徐々に思い始めていたようだ。また世間はそんなに冷たいものでも怖いものでもないとも徐々に思い始めてもいたようだ。

そうすると過去のいろんなことも現在(その時)のいろんなことも腹が立つことだらけになってしまう。もちろん年齢的に更年期でもあったのだろうが。そういうことで50代は怒り市にしそうなくらいに怒っていた。

 

そして私の精神疾患は簡単に考えてあまりの高ストレスが原因だったようだ。機械でいうとリミッターを振り切ってしまうようなストレスがかかっていた。家にはたいていブレーカーがついている。あまりにたくさん電力を使うとブレーカーが落ちる。そういうことが私の病気の一番の原因だった。

そしてそうなった方が安全だった。私は何度か急性期に陥ったことがある。その頃のことは今でも現実だったのか夢だったのか妄想だったのかよくわからない。急性期というのはそういうふうになるものだ。ただ今から振り返るとその時にはああいうふうになったほうが安全だった。

同世代の知人に「病気になってなかったら死んでましたよ」といわれたことがある。彼は「国家ぐるみの洗脳を受けてますからね」とも言っていた。

今もそういう人たちがいるのかどうか不明だが風邪を引いても高価な栄養ドリンクを飲んだなんとか頑張っている人たちが昔はたくさんいたし私もそういうことが良いことで立派なことだと思いこんでいた。そういうことだけではないがあのままだったらやっぱり死んでいたと思う。そういう意味では病気が天の救いだった。

 

今首がやっと戻ってきた。昨日かおとといの夜に(こうしかいえないが)腹が伸びてきた。そうとしかいえない。

こういうことももう少しで終わると思う。ああ本当によかった。