世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

今時「加勢する」といわないのだろうが

ジャニーさんとジャニーズ事務所のことだ。性被害のこと自体は私にはわからない。

前にも書いたが今占いをやっている女性がOL時代に先輩OLからひどくイジメられていた。その先輩OLは辞職することになった。後になって「あのひとひどかったよね」というひとがいたそうだ。彼女はまったく納得できなかった。

加勢するとは今は言わないのだろうが助太刀する(すけだちする)ことだ。

私自身いろいろあった時に加勢して助太刀して(すけだしして)もらった覚えがない。「それは君の問題だから」という態度だったことばかりだ。「向こうにも事情があるんじゃない」という態度であるとか。「君の自主性を尊重して」という態度であるとか。

それはそうだろう。だがコッチが本当に困っている時にそれが分かっていて場合によっては話だけ聞いて後は知らん顔をされても腹が立つだけだ。

いつもあったのは圧倒的な孤立。決断みたいなものは自分ひとりでする。だけど周囲もその相手がやっていることが圧倒的におかしいとわかっている状況でもそういう態度をとった人々のことを私は今も怒っている。

そういうことはシカトしたとしかいわない。今はイジメの傍観者だったということだ。多くの日本人は単純に「自分はイジメの傍観者だった」ということを認めるべきだ。

何故か?

事実がそうだから。

そしてこのことは右左や人権云々ということではない。男女貧乏金持ちという問題でもない。「国家の品格」みたいな話だ。

国家の品格(新潮新書)

そしてイジメで傍観者であるような品格に欠けるようなことをした連中が普通にキレイなことを言っていることがある。

どの口でいうんだ。

しょせんイジメの傍観者でしかない連中じゃないか。

山下達郎の発言は読んでいないので言及できない。でもデビィさんの発言は加勢だ。助太刀(すけだち)。もちろん私も「ここでそういう余計なことをいうと話がまたややこしくなってしまうから」という考えや感覚は私にもある。今私が書いたようなことを私自身大人の態度とみなしているのも事実だ。でもそういう大人の態度が問題なのだ。今回ジャーニーさんのことが話題になってからジャニーさんを擁護する発言はほとんどなかった。性犯罪はおそらくあったのであろうがそのことを私は問題にしていない。山下達郎やデビィさんよりもジャニーさんとの関係が深くてジャニーさんに世話になっていた人たちはいたはずだ。だがそういう人たちは今回口をつぐんでいる。

これは逆の立場であっても同じことだ。そして自らの被害を顔をだして訴えている人たちにもやっぱり長年加勢して助太刀してくれるひとは(ほとんど)いなかったのだ。もちろんまったくいなかったわけではない。もし被害を訴えているひとに加勢を助太刀をする人たちが多数いたのならこんなことにはなっていなかったのだ。

だいたいジャニーさんやジャニーズ事務所がよかったときにはジャニーさんやジャニーズ事務所に良い顔をしてジャニーさんやジャニーズ事務所が厳しくなったら冷たい態度をとるなんてそういう態度はどうだろう。

それは被害者の方々もどうようだ。彼らが厳しい状況の時には近づかなかったのに状況が変わったら自分たちは前から彼らの味方だったような態度をとるのはおかしいだろう。