世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

統合失調症回復の記録 11

若い頃から「なんでオレこのひとの話を聞いてるんだろう」と思っていた。明日ある医師のところに行こうかと思っている。いったんその医師のことは見放した。だがお互い若い時から知っているわけだしと思っている。さっきそう思った。

私は精神を病んでいるがあることはできる。でもあることはできないのだ。前の主治医に「でもやってもらわないと」といわれたことが何度かある。でも私はその時そのことができない。それは主治医はわかっているのだ。それをわかっているのに「でもこれはやってもらわないと」というのだ。

出来ないことはできないこと。そもそもあることができなくなっているから病院にかかっているのだ。なのに「でもやってもらわないと」といわれている。そういわれることも苦しかった。でもしょうがないんだろうと思ってなんとかしたこともあるしできなかったこともある。何故ならそもそもできないことだからだ。

明日また会いに行こうかな(診察に行くのだが)と思っている医師も同様だ。「〇〇はやってもらわないと」と久しぶりにあった時に一言目に言った。「またか」とも思ったし「このひともしょせん・・・」と思った。「でも」とさっき思った。「やっぱり会いに(診察に)行こうかな」と思った。ずっと考えることもなかったのだが。

その医師はTという。コイツよばわりするがコイツが全然ひとの話を聞かない。Tは勝手に自分の話を言い捨てて去っていく。Tは主治医ではなかったのだが。

ある時自転車で通勤していたのだそうだ。スポーツサイクリングの自転車を買って雨が降っても自転車で通勤していたとある時言っていた。「はあ」と聞いていたのだが。

Tは飲食店の女性をお付き合いしていたことがあった。それは良いのだが。ある時Tはネコを飼い始める。その件について「ネコはバッグ買ってくれといわない」といっていた。やっぱり「はあ」と聞いていた。

だいたい自転車で通期していたのは何のためなの?わからんが。

Tは医者だ。だからお付き合いする女性はお金を期待するのは当然だ。そしてバッグを普通にねだるような女性は結婚が見えてくると途端にケチになるものだ。そういう女性の方が金銭面には厳しいものだ。だからそういう女性は意外と大丈夫なものだ。

でもそういうことを言えなかった。Tは勝手に言い捨てて去っていくからだ。

これは当時の院長たちから聞いたんだと思う。Tは双子の弟だ。双子の兄ちゃんと同じ大学に入った。お金のこともあるので二人で同じアパートに住んでいた。兄ちゃんは野球部だった。Tはサークルには入っていなかった(のだろう)。するとTが家事をやることになる。掃除洗濯炊事等。兄ちゃんは野球の連中が終わって疲れて部屋に帰ってくる。だから普通に「メシは?」という。家事全般をやっていたTは定期的に切れていた。兄ちゃんは勝手に野球部に入っているのだ。そしてTは兄ちゃんが勝手に野球を野球をやっているから家事全般をやっていた。だからだ。でも兄ちゃんの方が評判よかった。

 

ある同世代の知人がいる。コイツも勝手に自分の話を言って去っていく。そして私の話は聞かない。あるところの職員だ。ある時に仕事を持ち帰って持ち帰り仕事が終わるのが12時過ぎることもあるといっていた。

私はずっと貧乏なのだ。学生時代からバイトが終わるのが深夜12時や深夜1時になることはあった。次の日起きるのがツラクて大変だった。でもそういう話はできない。勝手に自分の話をして去っていくからだ。

そいつがある時家を建てた。隣に弟が家を建てた。そいつの弟は単身赴任で頑張っていた。そいつがそいつの弟の家に私を呼んだ。そいつの弟の奥さんがご飯をごちそうしてくれた。ご飯はおいしかったが私は本当にイヤだった。そいつの弟さんと弟さんの妻とは初対面だ。新しく建てた家に見ず知らずのオッサンがやってくるのは普通イヤなものだ。特にそいつの弟さんの奥さんは本当にイヤだったと思う。

だがそいつにそういう話を言っても意味がない。もし私がそういうことをいうと「だって弟も○○さん(弟さんの奥さん)は良いですよっていってたんですよ」というから。

だから言っても意味がない。そいつはそういうヤツなんだろう。

 

ここのところ暗いのは違うと思うようになってきた。そして徐々に自分が明るくなってきた。「暗いのはダメだな」と思うようになってきている。

 

これはどうでも良いことだが私は双子の兄ちゃんとは相性がいい。高校の時にも双子の兄ちゃんと友達だったし20代に一番仲がよかった友人も双子の兄ちゃんだった。双子の弟とは相性が悪いのかもしれない。Tも勝手に自分の話を言い捨てて去っていくし。

 

カウンセラーの話を聞いていたこともあった。カウンセラーの個人的なことだ。あるカウンセラーは長男の嫁をやっていた。カウンセリングの師匠をカウンセリングしてもらっていてハッと思ったことがあったそうだ。その内容については聞かなかったが。そのひとは妊娠中まったくツワリがなかった。炊き立てのご飯の匂いを嗅いでもなんともなかった。横浜国大だったので赤レンガ倉庫が楽しかったのだそうだ。

彼女はある時「お兄さんも一緒だと思うの」といった。一緒かもしれないがウチのアニキがしたことの何を知っているというんだ。マクドナルドなるものがあるが「フィレオフィッシュが出てきた時は新鮮でしたよね」といっていた。私はずっと貧乏なのだ。マクドナルドに行ったは30歳を過ぎていた。ファミレスに行ったのもやっぱり30歳を過ぎていた。

 

「〇〇でしたよね」という言葉には長年苦しんできた。「ビートルズのなるとかいうアルバムを買ったんでしょ」というのもあった。そういったのは同世代だが私はビートルズはろくに聞いていない。

子供の頃から貧乏だから初めて買ったレコードは映画音楽を集めたものだった。著作権の関係でそのアルバムは安かったのだ。普通のレコードなんか買えなかった。

そういうひとだっているのだ。そしてそういうひとだから(そういう生育環境だから)精神を病んでいるのだ。

私は彼らの「お友達」ではないのだ。

 

思想家の吉本隆明が「10年いっちょ前」といっている。吉本は思想家だ。まずこの話だ。経験上これが分かるひとは多いはずだ。私は基本サービス業をやってきた。サービス業をはじめて10年目くらいの時に私はスーパーにいた。バイトだが。その頃なんともいえず変わったのだ。私は普通に働いていた。その頃自分の気持ちや考えが変わったことはまったくなかった。だが明らかに違うのだ。顧客も社員たちも。

吉本は思想家で物書きだ。物書きを10年やっていると腰が悪くなるという。そして腰が悪くなった頃に物書きで食べられるようになっているというのだ。腰が悪くなっているということの意味は自分が(自分の身体が)変わっているということだ。ただこれはボランティアではダメでお小遣い程度でいいのでお金をもらって10年働けばそうなるという。このことを私はずいぶん後になって知った。

ひきこもれ <新装版> ひとりの時間をもつということ (SB新書)

この本で詳しい内容は知ったのだが。あの頃私はサービス業のプロになっていたようだ。私がというか私の身体がプロになっていた。

佐藤勝と池上彰の対談を数冊読んだ。

無敵の読解力 (文春新書 1341)

疎外についてだ。この本だったと思う(曖昧だ)。マルクスは疎外を女衒(ぜげん)のたとえでいっている。だから疎外というのは恵まれている状況(他者を犠牲にして)のことだ。

NHK 100分 de 名著 ヘーゲル『精神現象学』 2023年 5月 [雑誌] (NHKテキスト)

斉藤幸平は新進気鋭のマルクス学者だ。以下は私の曲解だ。やっぱり疎外について。主人と奴隷のたとえをつかっている。疎外されているのは奴隷ではなく主人だ。主人は能書きを言って遊んでいる。奴隷はいろいろやらなきゃいけない。ただずっとそうやっているウチに主人は何もできないひとになっていく。遊んでいるだけだったらそうなるだろう。一方奴隷はいろいろやらなきゃいけない。だがいろいろやっているからいろいろできるようになっていく。やっていればできるようになるだろう。こういうことをやっているうちに主人は落ちてくるし奴隷は上がっていく。

サービスの語源は奴隷だ。私(私たち)の側、奴隷の方はいろいろやらなきゃいけない。議論しても何を言っていても仕事はなくならない。仕事は奴隷がやるものだ。そうやって働いているウチにいろいろできるようになっていった。でも主人の側は能書き言って遊んでいるだけ。そういう風にやっていれば何もできないひとになっていく。

実際そうなっていた。そうなっていた。というのは最近「そうだったのかな」と思ったからだ。

50歳くらいの時には薄っすら思っていた。「イヤちゃんとした立派な仕事をしてきたはずの人たちができないんだけど」と。「でもそんなはずはないだろう」と思っていた。でも彼らは事実できないのだ。

あの人たちは主人だった。彼らは長年疎外されていたのだ。

 

奥田民生がこういうことが分かっていたようだ。


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この歌の主人公は親のコネで良い会社に入っている。彼女はいるしおそらくそうとう豊な暮らしをしている。だが彼は変に孤独だ。明らかに恵まれた暮らしをしているのに変に孤独なのだ。そして彼が不思議な孤独から抜け出すためには恵まれた状況を捨てるしかない。親のコネがある良い会社を辞めて彼女とは別れてそういう良い身分を捨てるしかない。それが彼が疎外から逃れる唯一の方法だ。

疎外というのはそうとう具体的なことでこういうことは日本にはいくらでもあったのだ。

以下は栗本慎一郎の影響を受けた話だ。マルクルの前にはヘーゲルがいる。そのラインがどこから出てきたのか不明だ。キリスト教のある流れなのだろうが私にはよくわからない。

私は挫折はしたが哲学科だ。西洋哲学。西洋哲学は理性を重視する。あるいは合理性。理性にしても合理性にしても一つのこと(?)だ。ある一つのことで自己も世界も森羅万象も一つのことで理解しようとする欲望(?)努力(?)がある。ある一つのことだけでだ。でもある一つのことだけで自分のことも世界も森羅万象も理解するのは不可能かもしれない。シェークスピアの作品の中に「丸は三角、三角は四角、四角は丸い」という歌がある。「魔女の歌」らしい。理性だけで森羅万象を理解するのなら丸は丸だ。だが理性以外のことでも理解するのなら丸は三角であることはありうる。

 

最近アドラーが人気だ。ああいう心理学ではフロイトアドラーユングなのだが。アドラー人気は当然だと思う。フロイト精神疾患のメカニズムを解明する努力をしている。だがメカニズムがわかったとしても病気が治るわけではない。アドラーは病理病気のメカニズムはともかく「回復するための努力」を重視する。病理のメカニズムがどうであれ回復の方が重要ではないかということだ。フロイトの考えは本来論なのだろう。だが本来論の対義語はよくわからない。

 

私も哲学科だということもあって長年本体論だった。でも本体論はもういいのかなと思っている。自分がそういう風に変わってきたことが私の回復とはつながっているはずだ。