マーケティングというものが誤解されているような気がする。マーケティングは大恐慌下で生まれた。当時何をどうやってもいろんなモノが売れなかったのだ。それで「自分たちがいろんなことをやって売ろうとしているモノは顧客がそもそも欲しくないのかもしれない」ということになった。そして「それじゃあ顧客が欲しいモノ必要なモノを作らなきゃ」ということで生まれたものだ。
でも顧客は自分が欲しいものがわかっていないことが多い。そして欲しいモノ必要なモノに触れた時「そうそうこういうのが欲しかったんだよ」と思うのが普通なのだ。
そしてマーケティングが一番うまくいった場合にはセリングはいらなくなる。セリングというのは売り込みやプロモーションや販促のことだ。スーパーのポップもセリングに入るだろう。だがプロモーションのやり方のことをマーケティングといっているひとがいるような気がするのだ。
また顧客満足度は従業員満足度と正比例する。従業員の満足度が低ければお客さんたちの満足度も低い。従業員の満足度が高ければお客さんたちの満足度も高くなる。
これは経験上そうだ。
前にも書いたが私がテレビを見なくなった頃なんとなく「こういうことを番組の出演者もスタッフもやりたくないんじゃないのかな」と思っていた。もっというと「こういうことをやるのは番組の出演者もスタッフもイヤなんじゃないかな」と思っていた。
なぜそう思ったのかはいえないのだが。
もちろん仕事なのだから好きなだけでやってもらっては困る(のだろう)が。
上は永野chaneよりだ。私はパンクロックについては興味がないのだが彼はパンクロックが好きなのだ。そして彼がパンクロックに語る様子を見るのも楽しい。
ただこれはユーチューブだ。ユーチューブとテレビでは視聴者の絶対数が違う。だがら同じことをテレビ番組でやるのは厳しいとは思うのだ。
ただテレビ番組にしても映画にしても「こういうのをやりたい」という情熱が薄い仕事にはやはり魅力がない。どうしても魅力が薄くなってしまう。
「ビジネスビジネスといっている連中がビジネスに失敗している」とは思っている。これはイヤミでもあるが事実そうだ。
彼らには自分がないからだ。
自分も顧客なのだ。自分という顧客はどういうことが好きなのか?ということがない(あるいは薄い)ひとにはマーケティングも難しくなるものだからだ。