ずっと書いているジストニアだ。特に頸部ジストニア。ジストニアは意図していないのに筋肉が硬直、あるいは緊張してしまう病気だ。治療法はまだ不明だ。
緊張してしまうような事情が本人にあるから意図していないのに身体が緊張してしまうのだと考えらえる。緊張するのは恐れや以怒りが本人の中にあるから。
こういうふうに考えていくと感情が論点になるような気がする。だが論点は感情ではなく認識だと考えている。緊張してしまうような認識を持っているのだと。そういう認識が認識の規定値になっている、もしくは基本OSになっていいる。
そうだとすると規定値の認識なりそういう基本OSを変更する必要があるのだ。
例え話だが本人の世界観と自己像セルフイメージがホラー映画の中の子供であれば怖いのも不安に感じるのも当然だ。
そしてこういうふうに考えると子供の頃の経験を重視することの説明ができるのだ。
sれおはともかく長年苦しんできたジストニアが徐々に治ってきている。
中学の教科書に子供が(勝手に)「理由づけ」をしてしまうことがあると書いてあった。理由付けというのは筆者が勝手にいっているのだが。
たとえば本人が子供の時に(たとえば)保護者が自分を嫌っていると感じた時に「自分が悪いことをしたからだ」「自分が変なことをしたからだ」あるいは「自分が悪い子(悪い存在)だからだ」というふうに考えてしまうことだ。
私自身は母親から事実「できない」と言われていたのだ、そういう具体的な言葉がなかったとしても子供が今書いたように(いわば勝手に)「理由づけ」をしていることもある。そうすると本人の自己像セルフイメージはひどく悪いモノになってしまう。
そして世界観も子供の頃にいろいろあった場合には世界観がその頃の経験したようなことが普通で当然であるような世界観になることもありうることだ。
ただ私はそういう世界観と自己像セルフイメージが徐々に上書きれているようだ。そしてそのこととリンクしながら緊張が解けている。