世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

デジタルというから混乱する 情報の流れの変化

今(2024年)に急速にテレビや新聞や雑誌のようなメディアからインターネットを中心としてメディアへと大きくシフトチェンジがおきている。私は別にインターネットを中心としてメディアが素晴らしいとは思っていない。

この2つのメディアの違いは情報の流れの違いだと考えるとわかりやすい。

例えば新聞だとしよう。新聞の場合はすべての情報をいったん本社編集部に集める。本社編集部で文字通その集まった情報を編集して全国なり全世界に発信する。こういうふうに情報が流れている。これは雑誌でもテレビやラジオでも基本同じだ。

だがインターネットを中心としたメディアではそうは情報が流れていない。

ちょっと前に回転寿司店でイタズラをやった若い人たちが話題になった。あんなものは若い連中の遊びだ。それはわかる。それはわかるのだがああいうことが多く広がってしまうと企業の側にも大きな損害が出てしまう。そうすると法的なことも含めて種々の対応をせざるを得ない。

ただああいう動画が大きく広がらなかったら(つまりたいして拡散しなかったら)企業が受けるダメージはないに等しい。もしそうであったならば企業は種々の対応を取る必要はなくなる。

ただ彼等がやったような悪ふざけ(あんなものは若い連中の悪ふざけだ)の動画か拡散するかどうかを誰かが予測できるとは思えない。それは高度なAIにもやはりできないと思う。

彼等の動画はバズったのだ。バズってしまったというか。そしてあそこまで彼等の動画がバズらなかったら彼等の言動が問題になることはなかったのだ。そしてしつこいがある種の動画がバズルかどうかは誰にも予測できないのだ。(どの程度バズルのかというべきか)

そして新聞のような情報の流れ(本社編集部にいったん全部の情報を集めてその後その情報を全国なり全世界に発信するような)だったらこういうことはおきていない。だからインターネットを中心としたメディアにはあまりに多くの問題があるのは事実だ。

だが本社編集部(これはキーステーションのある部署でも同じだが)にいったんすべての情報を集めてそれを編集して全国なり前世界に発信するような情報の流れにある時(それがいつかは不明だが)限界が来ていたのもまたおそらく事実だ。

 

これをずっと話題(問題)になっていうマイナンバーカードで考えてみよう。マイナンバーカードについてもデジタルやDx云々ということではなく情報の流れで考えてみるのだ。

私(たとえば私だ)がマイナンバーカードを作ったとする。実際私はマイナンバーカードを作っているが。私のマイナンバーカードの情報は国家(おそらく国家になるだろう)の中枢まで流れるはずだ。そうなってないのならマイナンバーカードを作ってもあまり意味がない。

まずこの情報の流れだ。この情報の流れ方情報の流し方)を論点にする必要がある。私が論点といっているのはこれをどうするのか考える必要があるという意味だ。

そしてそこがどこに(あるいは誰に)なるのか不明だがあるところ(ある人たち)はそういう情報に接することになる。そういう人たちはそういう情報を握ることになるのだ。

だからそういうところはどこなのか?そういうひとはどういう人なのか?ということをやはり論点にする必要が出てくる。別にそれが一箇所である必要は必ずしもない。

そしてそういうところ(そういう人たち)には権利と義務を与える必要がある。そういう人たちは国家機密国家の財産を握ることになるのだから。そういう人たちに(そういう人たちがどういうひとになるのかもまだ不明回なような気がする)ただ「守ってください」といっても不可能なのでたとえば三権や警察や外国からのある種の要求を突っぱねられるだけの権利が彼等には必要になる。そしてそれは法律に明記する必要がある。それが具体的にはどうなるのかを当然考える必要がある。権利がなければ義務も負えない

 

具体的な話を最後に書いておく。私が緊急入院していた病院によそから来たベテラン看護師がいた。Mさんとおしゃる。Mさんから電子カルテについて教えてもらった。病院では申し送りを行う。スタッフが入れ替わるときに「こういうことがあった」ということを交代する人たちにいうのが申し送りだ。簡単な話これがシンドイ。伝えなければならないことは伝えなければならないのは当然だが話している方も聞いている方もしんどい。特に聞いている方がシンドイ。これが電子カルテになると楽だとMさんはいっていた。必要なことは電子カルテに書いてあるからもし必要なことをしらないスタッフがいたとすればそれは知らないヤツが悪いことになるから。

話がわかりづらかったと思うのだが電子カルテとはいうが問題は電子かどうかではないのだ。あることを知らなかったとすれば知らなかったヤツが悪いというカタチ(システム?)であることが重要だ。だからそれができるのなら別にカベ新聞でも構わない。もちろん情報管理や情報セキュリティの問題はあるのだが。それは電子でも電子ではなくても同じことだ。

同じ病院に私はその後も緊急入院したのだがその時にはもうMさんは退職されていた。これは余談になるがMさんは段どれるひとだった。昔からいうように「段取り八分」だ。段取りさえできたら後はやるだけだ。Mさんは段どれるひとでベテランなのだがその病院では新人。だからその病院のやり方にとやかくいうのはポジション違い。だからその病院にやり方(システム?)についてとやかくいうことはなかった。そういうことがひどくストレスだったはずだ。日本中で段どれる人たちは同じようなストレスを感じている。「ここ(こいつ)のやり方(段取り)は違うんだけど自分がそういうことに口出しするのはポジション違いだから・・・」と。こういうストレスが原因で職場を離れる人たちが実に多い。