世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

若者世代の葛藤と情報共有

今の日本人に(ということは当然私にも)必要な敬意がある。それは「ひとのことはわからない」と認めることだ。

私は80年代負け組だ。当時は仕事がたくさんあったということ意外には良いことはなかった。そういう人たちもずいぶんいるしそういうひとのなかで保守系の政治家になったひともいて、そういうひとに対して「やっぱり砂の器」だったのかなと思ってはいる。


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そうであったとしても私はバブル世代はバブル世代だ。就職氷河期世代の友人に「当時は人手不足で大学生をスキー合宿につれていって囲い込むようなことがあって」といったら「そんなの良すぎる」と怒っていた。当然私はそんな目にはあっていないのだが。

そして同世代から「こうでしたよね」といわれるのが長年本当にイヤだった。私はそうではないからだ。たとえば「マクドナルドでフィレオフィッシュが出てきた時は新しくて」であるとか「当時はコムデとワイズがあって、コムデはともかくワイズなんて買えませんでしたよね」のようなことだ。

私がマクドナルドにいったのは円高還元セールの後だしコムデやワイズが流行っているのは知ってしたがそういう存在は無関係だったからだ。嘘をいうのもイヤなので長年「ああ」とはいっているが。

今の日本人は同じ日本人だとしてもまず世代によって違う国のひとくらいに感覚も経験も違うのだ。3才違うだけでもそういうことがある。

また同世代であっても(おもに地域なのか?)によってまた違う国のひとくらいに感覚も経験も違う。

具体的に書くとある地域で育つと大学生なる存在を見たことがないということがある。実際の大学生をみたことがないということは大学生なる存在は映画やドラマやテレビの中でしか見ていないということだ。そういう彼らに取って大学生なるものの意味はアイドルやJリーガーの意味に近い。実際の大学生を見たことがなければ大学生の意味はそういう意味でしかない。そうだとすれば勉強ができたとしても「大学生になっていいものか」と思うのは当然だ。それはカッコ良いからカワイイからという理由で「アイドルになる」とは思いづらいことと同じことだ。

またこれはどういうコミュニティに所属しているのか?という問題でもある。どういうひとと友達や知り合いになったのかということだ。私が変な方向に行かずに済んだのはある種のひとにあっているからだ。これは運だとしか言えない。

私の商売の師匠は4才年上だが高校でサッカー部に入りたかったのが練習着もユニフォームも買えないので先輩からもらってなんとかしたそうだ。だがスパイクは買えなかったので普通のクツでずっとやっていたらしい。

ただそういう話を聴いたのはずいぶん後になってからだ。

そういうひとになんとなく会っていたから私は変な方向に行かないで済んでいる。

長根目先のことしか考えられなかったから別に考えてもいなかったのだが昔いた店(そこは早く辞めたほうが良いところだったのだが)の常連に老建施設の理事長がいてこのひととの縁があったから両親の介護がなんとかなった。

私はメンタルを病んでいるが幼馴染のお父さんは精神科医だった。その先生のお世話にはならなかったのだが「〇〇ちゃんのオジサンは精神科医だから」という気持ちと考えがなかったら私の人生は違うものになっていたはずだ。

これもどういうコミュニティに居るのか(所属しているのか)、あるいはどういうひとと友達仲間なのかということにつがなるのだがある知識があるコミュニティに所属しているひとには「当然すぎるようなこと」でしかないのに違うコミュニティに所属しているひとには「意味がわからない」ことになっていることもある。

変な話だがLeeというジーンズがあった。leeのジーンズはベルトをleeと書いてあるラベルの下を通すようになっていた。細かいことなのだが同世代でもあるコミュニティにいなかったひとは当時こういうことを知らなかった。

性的なことに関してもそうだ。(昔の話だが)GOROという雑誌は若いオトコが読むような雑誌だった。こういうことをもちろん書店で見て知るひともいたのだろうが友人知人から聴いて「そうなんだ」と思っていたひとも多かった。特に若い頃の性的なことなんてそうそう聞けないものだ。そういう時にあるコミュニティにいないとなかなか情報は入ってこない。情報というとおかしいかもしれないが。もちろんあるコミュニティにいると変な情報に捕まることもあるのだが。