世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

わからないものはわからない。 運の良し悪し

運が良いのか悪いのかはわからない。私はずっと不幸で底止まりしている。

 

不幸で貧乏だからいろいろ考えざるを得なかったしいろいろやらざるを得なKった。お金のことや家族のこと自分の病のこと、それ以外にもたいていいつも考えなきゃいけないことがあった。そして若い頃からやらなきゃいけないことがあった。それもいくつも。そういうことは本当にイヤだった。だがやらなきゃしょうがなかったのだ。でもそは言っても事実何十年も考えてきた(考えざるを得なかったからだが)そしていろんなこをやってきた(やらざるを得なかったからだ)。そして私がいろいろやっていることに文句をいう人たちがいつもいて本当にイヤだった。

ただ「ひととの出会い」という天では私は一貫して運がよかった。これはコントロールできないことだと思う。

 

友人の一人が40代でボロボロになった。彼は髪の毛が抜けてしょっちゅう嘔吐していた。また排泄もおかしくなっていた。ほかのことでもボロボロになっていた。考えてみると私も彼とまったく同じだった。私はそういうことが50代であったのだが。その友人はEさんという。私は当時Eさんがうらやましかった。「Eさんはボロボロになれていいな」と思っtえいたのだ。「私はまだボロボロになる余裕がない」と思っていた。もう一人私に近い感じの友人でKさんという人とがいる。Kさんもたぶん私たち同様ボロボロになったはずだ。別にボロボロになれば良いというわけではないのだが。

だが私たちの場合はボロボロになってしまうことがプロセスとして必要だったようだ。

 

「このひとな・・・」と思っていた人たちがいるのだが彼らの家の場所が変わっている。宅配便の業者さんでも迷うような場所。そしてたいてい近所のラブホがある。ラブホ街でもないのに。服が陰気くさい。ああいう人たちはそういうふうになってしまうようだ。そういう人たちが華やかに楽しくやっているように見えたから楽しいんだろうと思っていたがそういうわけでもなかったようだ。

 

食べ物だってそうだ。私がずっと貧乏だから粗食。お金がないから粗末のものしか食べられなかった。ただまずいものではない。簡単な料理ができるからだ。向こうは日常的に良いものを食べていた。うらやましかった。でもそういうモノを日常的に食べていれば身体に良いはずがない。友達の看護師が「糖質と資質があれば人間おいしく感じるだよ」と言っていた。そうだろう。

 

話が足所に戻るが運が良いとか悪いとははわからないものなのだ。